西鉄クリッパースのエース、川崎徳次投手。
(雑誌「野球界」1950年8月号より)
アンダースローの武末悉昌投手。
(雑誌「野球界」1950年10月号より)
宮崎要監督
(雑誌「野球界」1950年6月号より)
本拠地春日原球場にて (雑誌「野球界」1950年5月号より)
プロ野球が2リーグに分裂した1949(昭和24)年シーズンオフにパシフィック・リーグに加盟。西日本鉄道の電車・バス利用者への恩返し、地域への貢献第一に球団を設立、所有する春日原球場を本拠地とした。
昭和23年の都市対抗野球で優勝したノンプロ西鉄チームから初代監督となる宮崎要をはじめ、大津守・深見安博・河野昭修・塚本悦郎、八幡製鉄の鬼頭政一など九州地方のノンプロ選手に加え、巨人の主戦投手であった川崎徳次、前年度南海で20勝を挙げた武末悉昌、野口正明ら九州出身のプロ球界の有力選手を集めた。
初年度は7球団中4位。オフに西日本パイレーツとの合併話が具体化し、翌1951(昭和26)年に合併して西鉄ライオンズとなった。
■
西鉄クリッパース(パ・リーグ)年度別成績
※7球団(毎日・南海・大映・阪急・西鉄・東急・近鉄)
年 度
監 督
順位
試合
勝利
敗北
引分
勝率
打率
本塁打
防御率
1950(昭和25)年
宮崎 要
5
120
51
67
2
.432
.254
79
3.87
→
西鉄ライオンズ球団史TOPへ
→
西鉄ライオンズTOPへ
|
個人情報の取り扱いに関する基本方針
|
個人情報に関する公表事項
|
サイト利用規定
|
企画・制作 西日本鉄道株式会社 Copyright(C) 2000-2013 by Nishi-Nippon Railroad Co., Ltd.