昭和33年の西鉄ライオンズは開幕当初から主力選手に故障者が続出し、波乱の出だしとなった。4月、5月は辛うじて2位を確保したものの、前年からの選手補強も無いままの西鉄は四番・大下弘が故障離脱するなど主力選手が揃わず6月、7月と勝ち星を伸ばせない。7月19日、西村貞朗投手の完全試合達成もあったが、平和台球場で初めての開催となったオールスター戦前には首位南海と10ゲーム以上離され、優勝は絶望的に見えた。
 しかし、オールスター明けになると次第に戦力が揃い、8月を17勝6敗1分、9月を17勝4敗1分という脅威的な追い上げで、最後は南海を大逆転してパ・リーグ優勝を決めてしまう。
 新人・長嶋茂雄を四番に据えた水原茂監督率いる巨人との3年連続の日本シリーズでは、鉄腕・稲尾の神業的な大活躍で3連敗からの奇跡の4連勝を成し遂げたのである。
(執筆・文責 益田啓一郎 編著「西鉄ライオンズとその時代」より)
昭和33年の開幕戦は新設された小倉球場(現・北九州市民球場)の竣工記念試合となった。
1958(昭和33)年4月5日 所蔵:西日本鉄道
大規模な改装工事が終わり平和台球場の落成披露式は4月26日の対南海戦だった。
1958(昭和33)年4月26日 所蔵:西日本鉄道

平和台球場の落成披露で室内ブルペン(右)など新設の施設も公開された。
1958(昭和33)年4月26日 所蔵:西日本鉄道

平和台球場の対南海戦、落成披露セレモニーの光景。
1958(昭和33)年4月26日 所蔵:西日本鉄道
平和台球場の対南海戦、試合前の練習風景。
1958(昭和33)年4月26日 所蔵:西日本鉄道
平和台球場落成披露セレモニー直前。
1958(昭和33)年4月26日 
所蔵:西日本鉄道
平和台球場に登場した生ライオンと若生投手。
1958(昭和33)年6月10日 
所蔵:西日本鉄道
ペナントレース後半、首位を走る南海への猛追を始めた西鉄はこの日も毎日に快勝。
1958(昭和33)年8月24日 所蔵:西日本鉄道
昭和33年の開幕戦は新設された小倉球場で行なわれた。写真はセレモニーの様子。
1958(昭和33)年4月5日 所蔵:西日本鉄道
昭和33年の開幕戦、関口のヒットで生還した中西と大下。
1958(昭和33)年4月5日 所蔵:西日本鉄道
昭和33年の開幕戦、完成したばかりの小倉球場(現・北九州市民球場)は土盛りだった。
1958(昭和33)年4月5日 所蔵:西日本鉄道
平和台球場の落成披露後の対南海戦、奥村福岡市長による始球式の様子。
1958(昭和33)年4月26日 所蔵:西日本鉄道
昭和33年の開幕戦、完成したばかりの小倉球場スコアボード。
1958(昭和33)年4月5日 所蔵:西日本鉄道
平和台球場落成披露セレモニーで、奥村福岡市長からビジター試合用の「FUKUOKA」ユニフォーム
の贈呈式が行なわれた。1958(昭和33)年4月26日 所蔵:西日本鉄道
平和台球場の対南海戦、試合前の稲尾投手の
投球練習。
1958(昭和33)年4月26日 所蔵:西日本鉄道
平和台球場落成に合わせて登場した平和台レディ。
1958(昭和33)年4月26日 
所蔵:西日本鉄道
平和台球場の対南海戦、センタースコアボード上からの試合風景。
1958(昭和33)年4月26日 所蔵:西日本鉄道
ペナントレース終盤、対南海天王山の日。
1958(昭和33)年9月27日 
所蔵:西日本鉄道
平和台球場の対南海戦、試合前の主力打者スナップ。大下、関口、中西、豊田の各選手。
1958(昭和33)年4月26日 所蔵:西日本鉄道
ペナントレース後半、ナイターでの一塁側スタンド風景。
1958(昭和33)年8月24日 所蔵:西日本鉄道
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