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1963(昭和38)年、西鉄ライオンズはロイ、バーマ、ウィルソンの外国人3選手の活躍もあり、お家芸の逆転優勝を遂げる。一時は首位から14.5ゲームあった差を詰め、近鉄との最終四連戦に4連勝しての逆転劇は、昭和33年を上回るまさに「奇跡」であった。
日本シリーズでは惜しくも宿敵・巨人に3勝4敗で破れたが、5度目にして最後のリーグ優勝は、世代交代が進みスター選手が去った西鉄にあって最後の輝きだった。その後、昭和40年代に入っても池永正明らの活躍で2位を2度記録するなど、常勝軍団として、九州の球団として輝きを放ったが、1972(昭和47)年のシーズン限りで西鉄ライオンズは太平洋クラブ・ライオンズとなりその歴史を終えた。
(執筆・文責 益田啓一郎 編著「西鉄ライオンズとその時代」より) |
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川崎監督時代のクリーンナップ、豊田泰光、中西太、関口清治。
1960(昭和35)年9月 所蔵:西日本鉄道 |
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川崎監督時代の投手陣、稲尾和久、畑隆幸、若生忠男 ら。
1960(昭和35)年9月 所蔵:西日本鉄道 |
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平和台球場の応援風景。
1960(昭和35)年8月17日 所蔵:西日本鉄道 |
川崎監督時代の捕手陣、和田博実ら。
1960(昭和35)年9月 所蔵:西日本鉄道 |
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引退試合、最終打席での大下弘選手のバッティング。
1960(昭和35)年3月1日 所蔵:西日本鉄道 |
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完成した当時の西鉄ライオンズ百道寮。
1959(昭和34)年9月2日 所蔵:西日本鉄道 |
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試合前の練習をファンと一緒に見つめる稲尾投手。
1961(昭和36)年3月10日 所蔵:西日本鉄道 |
対大毎戦の試合風景、田中選手ホームイン。
1960(昭和35)年4月10日 所蔵:西日本鉄道 |
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