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1963(昭和38)年、西鉄ライオンズはロイ、バーマ、ウィルソンの外国人3選手の活躍もあり、お家芸の逆転優勝を遂げる。一時は首位から14.5ゲームあった差を詰め、近鉄との最終四連戦に4連勝しての逆転劇は、昭和33年を上回るまさに「奇跡」であった。
日本シリーズでは惜しくも宿敵・巨人に3勝4敗で破れたが、5度目にして最後のリーグ優勝は、世代交代が進みスター選手が去った西鉄にあって最後の輝きだった。その後、昭和40年代に入っても池永正明らの活躍で2位を2度記録するなど、常勝軍団として、九州の球団として輝きを放ったが、1972(昭和47)年のシーズン限りで西鉄ライオンズは太平洋クラブ・ライオンズとなりその歴史を終えた。
(執筆・文責 益田啓一郎 編著「西鉄ライオンズとその時代」より) |
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ペナントレース最終戦で逆転優勝を飾った中西監督以下、西鉄ライオンズ選手。
1963(昭和38)年10月20日 所蔵:西日本鉄道 |
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ペナントレース最終戦で逆転優勝を飾り、監督・選手と関係者の記念撮影。
1963(昭和38)年10月20日 所蔵:西日本鉄道 |
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優勝パレードは日本シリーズを翌々日に控えて行なわれた。写真は赤坂門付近。
1963(昭和38)年10月24日 所蔵:西日本鉄道 |
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ファンの集いで少年にサインする稲尾監督。
1971(昭和46)年 所蔵:西日本鉄道 |
福岡ビルに掲げられた感謝の懸垂幕。
1963(昭和38)年10月24日 所蔵:西日本鉄道 |
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最後のシーズン、小倉球場にて西鉄創立記念・無料招待試合の風景。
1972(昭和47)年9月23日 所蔵:西日本鉄道 |
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「西鉄ライオンズ選手とファンのつどい」でファンの少年から花束を受け取る稲尾監督。
1972(昭和47)年 所蔵:西日本鉄道 |