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昭和33年の西鉄ライオンズは開幕当初から主力選手に故障者が続出し、波乱の出だしとなった。4月、5月は辛うじて2位を確保したものの、前年からの選手補強も無いままの西鉄は四番・大下弘が故障離脱するなど主力選手が揃わず6月、7月と勝ち星を伸ばせない。7月19日、西村貞朗投手の完全試合達成もあったが、平和台球場で初めての開催となったオールスター戦前には首位南海と10ゲーム以上離され、優勝は絶望的に見えた。
しかし、オールスター明けになると次第に戦力が揃い、8月を17勝6敗1分、9月を17勝4敗1分という脅威的な追い上げで、最後は南海を大逆転してパ・リーグ優勝を決めてしまう。
新人・長嶋茂雄を四番に据えた水原茂監督率いる巨人との3年連続の日本シリーズでは、鉄腕・稲尾の神業的な大活躍で3連敗からの奇跡の4連勝を成し遂げたのである。
(執筆・文責 益田啓一郎 編著「西鉄ライオンズとその時代」より) |
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平和台球場での初めて行なわれたオールスター戦、入場行進の様子。
1958(昭和33)年7月27日 所蔵:西日本鉄道 |
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平和台球場での初めて行なわれたオールスター戦に出場した西鉄の選手記念撮影。
1958(昭和33)年7月27日 所蔵:西日本鉄道 |
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日本シリーズの光景。平和台での第4戦のヒーロー豊田の大活躍。
1958(昭和33)年10月16日(「週刊ベースボール」昭和33年11月12日号より) |
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熱心なファンから球団に届いた5メートルの長文激励文。
1958(昭和33)年10月 所蔵:今泉京子 |
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日本シリーズMVPの稲尾投手(左)、奇跡の優勝で三原監督を胴上げ(右)。
1958(昭和33)年10月21日(「週刊ベースボール」昭和33年11月12日号より) |
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柳川で初の「川下り」優勝パレード。1958(昭和33)年10月29日 所蔵:西日本鉄道 |
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平和台球場で行なわれた「ファンの集い」感謝祭の光景。はしゃぐ稲尾投手。
1958(昭和33)年11月 所蔵:西日本鉄道 |
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平和台球場で行なわれた「ファンの集い」感謝祭の光景。
1958(昭和33)年11月 所蔵:西日本鉄道 |
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平和台球場で行なわれた「ファンの集い」感謝祭の光景。
1958(昭和33)年11月 所蔵:西日本鉄道 |
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