前年の初リーグ優勝で自信を得た野武士軍団は、翌1955(昭和30)年のシーズンも90勝をあげる。しかし宿敵・南海ホークスはそれを上回る99勝、屈辱のゲーム差で2位に甘んじる。
 戦後10年を経て日本は新しい時代を迎えつつあった。「もはや戦後ではない」と言われ、日本のプロ野球史で最も多い150試合以上の公式戦が行なわれた1956(昭和31)年、西鉄ライオンズは逆転で二度目のリーグ優勝を遂げる。
 その原動力となったのは、投手ではこの年入団した稲尾和久、畑隆幸ら新人と、長い下積みを経て開花した島原幸雄であった。打者では中西太が戦後初の三冠王を目前で逃す大活躍。打率で僅かに上回り三冠王を阻止したのは同僚の豊田泰光だった。
 投打のレギュラー陣が活躍した1956(昭和31)年、日本シリーズは巨人を追われた西鉄・三原と巨人・水原の「宿命のライバル」監督初対決。九州のローカルチームだった西鉄が盟主・巨人を破り、人気もついに全国区となった。西鉄黄金時代の幕開けである。
(執筆・文責 益田啓一郎 編著「西鉄ライオンズとその時代」より)
日本シリーズ第3戦当日早朝、開門後一番乗り
で観客席へ向かうファン。
1956(昭和31)年10月13日 所蔵:西日本鉄道
日本シリーズ第3戦、平和台球場に展示された
最高殊勲選手賞のトヨペット・クラウン。
1956(昭和31)年10月13日 所蔵:西日本鉄道
日本シリーズ第3戦試合前のセレモニー、巨人・水原監督と西鉄・三原監督。
1956(昭和31)年10月13日 所蔵:西日本鉄道
第3戦試合後のスコアボード付近のゴミの山。
1956(昭和31)年10月13日 所蔵:西日本鉄道
第3戦試合前の一塁側、興奮する応援団。
1956(昭和31)年10月13日 所蔵:西日本鉄道
日本シリーズ第3戦、ホームランを打った豊田を出迎える選手たち。
1956(昭和31)年10月13日 所蔵:西日本鉄道
優勝パレードを前に筥崎宮へ参拝する西鉄ライオンズ選手たち。
1956(昭和31)年10月23日 所蔵:西日本鉄道
福岡市内を巡る優勝パレード、県庁前で花束を受ける三原脩監督。後方の車は大下・川崎両助監督。
1956(昭和31)年10月23日 所蔵:西日本鉄道
優勝パレードを終えて、博多帝国ホテルにて優勝祝賀会。
1956(昭和31)年10月23日 所蔵:西日本鉄道
 
日本シリーズ第3戦当日の朝、市内電車で平和台球場へ向かうファン。
1956(昭和31)年10月13日 所蔵:西日本鉄道
第3戦試合開始前の新聞記者席。
1956(昭和31)年10月13日 所蔵:西日本鉄道
第3戦試合前のテレビ中継カメラ席。
1956(昭和31)年10月13日 所蔵:西日本鉄道
日本シリーズ第3戦試合前に行なわれたパ・リーグ表彰での稲尾和久投手。
1956(昭和31)年10月13日 所蔵:西日本鉄道
日本シリーズ第3戦試合前の一塁側ライオンズベンチ。和やかなムードが伝わってくる。
1956(昭和31)年10月13日 所蔵:西日本鉄道
日本シリーズ第4戦の勝利インタビューを
受ける豊田選手、川崎助監督。
1956(昭和31)年10月14日 所蔵:西日本鉄道
第4戦試合前、野球解説者の中澤不二雄氏から
アドバイスを受ける稲尾投手。
1956(昭和31)年10月14日 所蔵:西日本鉄道
後楽園での日本シリーズ第6戦勝利を速報で知り、優勝を喜ぶファン(西鉄福岡駅)
1956(昭和31)年10月17日 所蔵:西日本鉄道
シリーズを終えて帰福した選手、博多駅にて。
1956(昭和31)年10月20日 
所蔵:西日本鉄道
優勝パレードに登場した幸運のライオン像。
1956(昭和31)年10月23日 
所蔵:西日本鉄道
福岡市内を巡る優勝パレード、福岡スポーツセンター前にて。
1956(昭和31)年10月23日 所蔵:西日本鉄道
北九州での優勝パレード、小倉・日明郵便局前。
1956(昭和31)年10月25日 所蔵:西日本鉄道
 
 
 
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