今から100年余り前、「渡辺通り」に名を遺す博多の呉服商・渡邉與八郎は私財を投げ打ち、当時の福岡市および近隣村を巡回する道路を開き博多電気軌道(のち西鉄福岡市内線循環線)を開業しました。開業まもなく與八郎は奇病により急死しますが、彼が構想した道路網や鉄道敷設計画はその後の福岡市および天神の発展の基礎となりました。軌道沿線の千代・堅粕・住吉などは人口増で村から町へ昇格、さらに福岡市に次々と編入されて福岡市域が拡大するきっかけとなりました。今回は與八郎の功績や人柄を、構想した計画図や関連写真とともに紹介します。 |