1910(明治43)年に開催された第13回九州沖縄八県連合共進会の付帯施設として箱崎浜に開設されたのが「箱崎水族館」です。筥崎宮外苑の浜辺、現在国道3号線となっている一帯にありました。渡辺與八郎は有力発起人の一人として開設に携わり、博多電気軌道の延長線計画は箱崎水族館を終点としていました(與八郎の急死により実現せず)。当時は福岡市近郊にファミリー向けの娯楽施設は無く、大正から昭和初期まで永く市民に親しまれました。昭和に入ると箱崎浜の埋め立てと国道敷設計画(現在の国道3号線)で敷地の大半を失い、1934(昭和9年)に閉館しています。
同じ1910(明治43)年11月に開設されたのが劇場「博多座(初代)」です。現在の博多税務署付近にあった博多座も博多電気軌道の支線(のち西鉄福岡市内線吉塚線)沿線にあたり、箱崎水族館と同様に沿線開発という目的で與八郎は発起人に名を連ねました。11月22日の開館こけら落とし公演では、博多出身の川上音二郎率いる音二郎一座「パリの仇討」他が上演されました。
同じ頃、與八郎は香椎駅(国鉄香椎、現JR香椎駅)西の香椎潟浜男海岸の埋め立て計画を立て、香椎浜埋築会社の設立準備に取り掛かりました。1911(明治44)年10月の與八郎死後は、野村久一郎らが事業を継承、その後を「西日本鉄道」の名付け親でもあり前身会社である博多湾鉄道汽船の社長を務めた太田清蔵(四代目)が引き継いで開発を進めました(九州勧業の前身)。太田は前出のように、博多紡績会社の設立運営などで輿八郎とタッグを組んだ人物です。1924(大正13)年5月に開業した博多湾鉄道汽船新香椎駅(現・西鉄香椎駅)は、與八郎が最初に埋立を計画した地に建っており、2014(平成26)年に開業90周年を迎えます。