別府球場の開場は昭和6年、戦後復興期は別府に星野組と植良組という2つの社会人チームがあり、年2回の定期戦をはじめ、当地でのキャンプが恒例だった巨人軍と星野組の交流戦などが行われた。星野組の活躍を見て、少年時代に胸をときめかせたのが稲尾和久である。野球の盛んな地であったことから稲尾少年も野球の魅力の虜となった。2001(平成13)年、球場閉場の「お別れセレモニー」では稲尾がマウンドに立った。
(執筆・文責 益田啓一郎)
別府球場での西鉄vs毎日戦 
1953(昭和28)年4月7日 
所蔵:西日本鉄道(株)
別府球場での対巨人オープン戦で始球式に登場した、西鉄ライオンズ生みの親、村上巧児(当時は西鉄相談役)。後方は別府出身の西鉄・河村久文投手。昭和30年3月・提供:中島国彦
   
 
 
別府球場での西鉄vs毎日戦 1953(昭和28)年4月7日 所蔵:西日本鉄道(株)
 
 
 
 
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