1934(昭和9)年11月26日、雨の小倉到津球場で行われた日米野球で米大リーグ、ヤンキースのベーブ・ルースが7回に125mの右翼スタンドを越える特大ホームランを放った。試合は8―1で全米軍が全日本チームに圧勝、九州人が初めてプロ野球(職業野球)の魅力に触れた試合となった。この時の全日本チームは日本初の職業野球チームで、日米野球終了後に大日本東京野球倶楽部(1936年に東京巨人軍と名称変更)が結成された。この時のメンバーでのち西鉄ライオンズの監督となる三原脩(当時は修)がプロ契約第1号選手である。
 到津球場は1924(大正13)年、現在の北九州市小倉北区上到津3に開場。戦前は社会人野球の都市対抗九州予選や製門戦(八幡製鉄―門司鉄道管理局)が行われたほか、陸上競技大会も開かれた。
(執筆・文責 益田啓一郎)
 
 
 
小倉到津球場 1936(昭和11)年 「小倉市勢要覧昭和10年版)より
 
 
 
 
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