現在の西鉄かしいかえんの敷地北側にあった香椎野球場の開場は1942(昭和17)年。終戦後は芋畑となっていた土地を野球場として再整備するため、西鉄社員の中島国彦は進駐軍と交渉に成功。再整備こけら落とし試合はノンプロ西鉄のもとになる西鉄チームと、進駐軍(香椎タイガース)との対戦だった。西鉄がプロ野球に参戦すると主に二軍の試合や練習場となり昭和50年代初めまで利用された。
 1954(昭和29)年2月、引退間もない元大リーガー、ジョー・ディマジオがセ・リーグ球団の招きで来福。香椎球場でプロ選手に直接指導を行った。西鉄ライオンズの内野手・河野昭修はディマジオの指導を受けたくて島原キャンプ行きを遅らせてまで指導を受けた。その甲斐あって、この年に1塁レギュラー奪取に成功し13本のホームランを放って初優勝に貢献した。
(執筆・文責 益田啓一郎)
 
 
 
 
ジョー・ディマジオの指導風景 
1954(昭和29)年2月 提供:平原健二
香椎球場のこけら落とし試合 
進駐軍vs西鉄チームの記念撮影 
1947(昭和22)年 提供:中島国彦
 
香椎花園及び香椎球場の空撮 
1968(昭和43)年 所蔵:西日本鉄道(株)
 
 
 
 
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