日本シリーズ連覇を達成して迎えた昭和33年3月4日、渡辺通りにあったRKB毎日放送Aスタジオに中西太、稲尾和久ら主力選手が集合した。この時、楽団の演奏に合わせて選手が歌った「西鉄ライオンズの歌」は録音されてレコードとなった。二番は当時すでに野球選手として初のレコードを出していた豊田泰光がソロで唄っている。これが今日まで遺る貴重な音源である。
 この時の貴重な録音風景写真が西日本鉄道本社に遺っている。当時流行したロングコートを着た選手たちの熱唱ぶりが微笑ましい。のちにダイエーホークス(現福岡ソフトバンクホークス)の応援歌が選手の唄うものとなったが、その先駆けも西鉄ライオンズであった。
所蔵:西日本鉄道(株)

 西鉄ライオンズOBやファンが一堂に介するたびに、最後に必ず大合唱されるのが球団歌「西鉄ライオンズの歌」である。

 昭和26年1月末、西鉄クリッパースと西日本パイレーツの合併により誕生した新球団は、市民公募により愛称を「ライオンズ」と決定した。球団歌は同じ名前を持つライオン歯磨が、宣伝面でのタイアップを申し出て作られ、同年7月29日の大阪球場での対南海戦で贈呈式が行われた。

 「起てり 起ちたり ライオンズ ライオンズ ゆするたてがみ 光りに照りて 金色まばゆき 王者の姿 九州全土の 声援受けて 空を仰ぎて 勝利を誓う ライオンズ ライオンズ おお 西鉄ライオンズ」

 かつて平和台球場にこだまし、今なお熱狂的なファンに語り継がれる名曲は、西鉄ファンでも知られた作家・サトウハチロー氏が作詞、当時の人気歌手・藤山一郎氏が作曲したものだ。サトウ氏は前身の西鉄クリッパース球団歌の作詞に続くご縁であった。ちなみにこの曲の作曲は郷土の誇る作曲家・古賀政男である。
 「阿蘇のけむりも 筑紫の海も さつま日向の 草木も祝う」と続く歌詞は、当時の球団社長・木村重吉(同年11月、西鉄社長就任)の言葉を受けてサトウがまとめたもの。福岡だけでなく九州人に愛される球団をめざした西鉄にとっても、名将・三原脩を迎え日本一をめざすチームにとっても最高の応援歌となった。

執筆・文責:益田啓一郎

 
 
 
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