「水爆打線」と他球団から恐れられた全盛期の西鉄ライオンズ。しかし、決して打撃力だけが売りではなかった。プロ野球記録のシーズン最多勝利数42をはじめとする数々の記録を持つ「鉄腕」稲尾和久の印象があまりにも強烈だが、西鉄ライオンズには彼に負けず劣らずの才能を持った投手が集まっていたのだ。
稲尾入団以前を見てみても昭和27年最多勝(23勝)の野口正明、28年最多勝(24勝)・最優秀防御率(1・98)の川崎徳次らがタイトルを獲得している。
昭和29年の初リーグ優勝時には西村貞朗(最高勝率22勝5敗、防御率2位1・77)と大津守(18勝、防御率3位1・78)、河村久文(25勝、防御率4位1・99)の3人が脅威の防御率1点台を記録して投手王国の輪郭が完成。チーム防御率も2・17で他チームを圧倒したのである。
大津は翌昭和30年の近鉄戦で球団初のノーヒットノーランも達成。投高打低、飛ばないボールの時代であることを割り引いても、西鉄ライオンズが投手王国だったことが判るはずだ。その後も島原幸雄(昭和31年25勝で最高勝率)、若生忠男(昭和42年ノーヒットノーラン)、畑隆幸ら好投手が集まり黄金時代が続く。