投手陣の柱として活躍した西村貞朗・河村久文・大津誠。
1956(昭和31)年頃 所蔵:西日本鉄道(株)

最優秀投手賞を受賞する島原幸雄。
1956(昭和31)年10月13日 所蔵:西日本鉄道(株)
川崎徳次監督時代の投手陣。畑隆幸、稲尾和久、若生忠男、田中喜八郎ら。 
1960(昭和35)年9月3日 所蔵:西日本鉄道(株)
 「水爆打線」と他球団から恐れられた全盛期の西鉄ライオンズ。しかし、決して打撃力だけが売りではなかった。プロ野球記録のシーズン最多勝利数42をはじめとする数々の記録を持つ「鉄腕」稲尾和久の印象があまりにも強烈だが、西鉄ライオンズには彼に負けず劣らずの才能を持った投手が集まっていたのだ。

 稲尾入団以前を見てみても昭和27年最多勝(23勝)の野口正明、28年最多勝(24勝)・最優秀防御率(1・98)の川崎徳次らがタイトルを獲得している。
 昭和29年の初リーグ優勝時には西村貞朗(最高勝率22勝5敗、防御率2位1・77)と大津守(18勝、防御率3位1・78)、河村久文(25勝、防御率4位1・99)の3人が脅威の防御率1点台を記録して投手王国の輪郭が完成。チーム防御率も2・17で他チームを圧倒したのである。

 大津は翌昭和30年の近鉄戦で球団初のノーヒットノーランも達成。投高打低、飛ばないボールの時代であることを割り引いても、西鉄ライオンズが投手王国だったことが判るはずだ。その後も島原幸雄(昭和31年25勝で最高勝率)、若生忠男(昭和42年ノーヒットノーラン)、畑隆幸ら好投手が集まり黄金時代が続く。

 投手王国の頂点に君臨したのが昭和31年に入団した鉄腕・稲尾和久である。彼は新人王・最優秀防御率(1.06)の二冠王、翌32年は投手部門を独占(防御率・勝率・最多勝)し、最高殊勲選手に選ばれた。この年には20連勝も達成している。「神様、仏様、稲尾様」と呼ばれた33年も最多勝や最高殊勲選手に選ばれ、以降も投手部門のタイトルを次々に獲得、昭和36年には年間42勝をあげるなど投手部門の記録を次々に塗り替えたのである。

 昭和38年に最後のリーグ優勝をとげたあとも、完全試合(田中勉)やノーヒットノーラン(井上善夫、清俊彦)を達成する好投手の系譜は続き、その筆頭には肩を痛めた稲尾に代わり池永正明(新人王、最多勝など)、東尾修らが後期の西鉄ライオンズを支えた。

執筆・文責:益田啓一郎
 
 
 
 
 
 
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