「史上最強打線」といわれた昭和32年の西鉄ライオンズベストオーダー(日本シリーズ第1戦試合前)左から高倉・豊田・中西・大下・関口・河野・仰木・和田・稲尾。
1957(昭和32)年10月26日 「野球界」臨時増刊昭和32年11月より

史上最強と言われた昭和32年のベストオーダーが始動した同年の
対巨人オープン戦で関口・高倉のツーショット(平和台球場)。 
1957(昭和32)年3月10日 所蔵:西日本鉄道(株)
 三原脩監督が考える得点能力が最も高い打順理論が、2番に強打者を置く「流線型打線」である。個性ある選手の能力を最大限に引き出す「遠心力野球」という選手監理術に対し、具体的な攻撃布陣論ということになる。
 三原の理論は、単にホームランバッターを揃えるというものではなく、クリーンナップの力を最大限に引き出すためには、2番に強打者を置く必要があるというものだった。同時に5番打者も重要視した。
 昭和28年入団の豊田泰光が2番に定着した昭和29年、西鉄は初のリーグ優勝を達成する。この年、豊田と同期の高倉照幸も1軍に定着、のち不動の1番打者となる。2番・豊田、3番・中西、4番・大下、5番・関口と続く、一度打ち始めると止まらない強力な打線は他チームから“水爆打線”と恐れられた。
執筆・文責:益田啓一郎
 
 
 
 
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