昭和32年パ・リーグ開幕戦、試合前のダグアウト風景。リラックスする大下弘、豊田泰光、玉造陽二、中谷準二。
1957(昭和32)年3月30日所蔵:西日本鉄道(株)

昭和32年パ・リーグ開幕戦、試合前のダグアウト風景。
川崎徳次、城戸則文、仰木彬、関口清治、久保山誠ら。 
1957(昭和32)年3月30日 所蔵:西日本鉄道(株)
 西鉄ライオンズ誕生とともに三顧の礼を持って迎えられた三原脩監督は、南国九州のイメージに合う豪快で明るいチームづくりをめざした。5度のリーグ優勝はぶっちぎりの7ゲーム差優勝で最強と呼ばれた32年を除き、いずれも紙一重の逆転優勝だった。「もうダメか」と諦めたところから、西鉄ライオンズは幾度も奇跡を成し遂げたのだ。
 それを可能にしたのは、三原監督の言葉を借りていえば個性豊かな選手たちの力を最大限に発揮させる「遠心力野球」という選手掌握術だった。選手を管理するのではなく、個々の能力・自主性を認め、試合で結果を出せばプライベートは自由。選手の自主性を重んじ、個性を尊重し、チーム内で何でも言い合える空気を創り出した。
 平和台で試合が終わると、そのまま中洲に飲みに行く選手も多く、お店で一緒に酒を飲むなど、ファンとの距離も近かった。そこから二日酔いでホームランを打ったりという数々の逸話が生まれ「野武士」「豪放」といったイメージも定着。大舞台で実力を発揮できない選手やチームは多いが、全盛期の西鉄ライオンズの選手たちはプレッシャーを楽しんでいた。その裏には選手各人の自主練習からくる自信があったことは言うまでもない。
執筆・文責:益田啓一郎
 
 
対巨人オープン戦の西鉄ベンチと応援団。
1957(昭和32)年3月10日
所蔵:西日本鉄道(株)
 
稲尾・和田の黄金バッテリーをはじめ、勝利で試合を終えてベンチへ引き上げる選手。
1960(昭和35)年 所蔵:西日本鉄道(株)
 
 
 
 
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