帰省バス(福岡バスセンター前) 
1970(昭和45)年頃 写真No. p180_2/所蔵:西日本鉄道(株)

 西日本鉄道では関西地区から九州への帰省客増加に対応すべく、1962(昭和37)年12月から年末年始の帰省バス(大阪ー福岡間)の運行を開始。大阪ー福岡間を所要時間16時間(会費片道2,000円)で結びました。
 今回の特集ページでは、年末年始に運行された「帰省バス」「初詣バス」や冬季に運行された「スキーバス」など会員制バスの歴史をご紹介します。

 
 

 
三社詣臨時会員バス・電車ポスター 
1965(昭和40)年頃 所蔵:西日本鉄道(株)
写真No. No. PNS343
 
 

会員バス「初詣バス」の運行


 西日本鉄道では戦後復興期から貸切バス事業の一環として、観光目的ごとに個人の参加を募る「会員バス」の企画を開始しました。その第1弾は、1953(昭和28)年1月1日〜4日に行われた「初詣バス」です。1952(昭和27)年に1050年大祭を迎えた太宰府天満宮や筥崎宮、宮地岳神社などを巡る「三社詣り」コースが特に人気を集め、北部九州では「三社詣り」が広まりました。
 ちなみに福岡における「三社詣り」の元祖は、福岡藩主(黒田家)が正月に住吉神社・筥崎宮・山王日吉神社へお詣りしたことに始まると言われます。西日本鉄道の前身会社のひとつ、博多湾鉄道汽船(西鉄貝塚線・JR香椎線の前身)では、戦前から鉄道沿線にある香椎宮・筥崎宮・宮地嶽神社などを巡る「三社詣り」を観光案内で発信していました。
 
初詣と初旅のご案内チラシ表面
1953(昭和28)年 所蔵:益田啓一郎
  三社初詣会員バスポスター 
1984(昭和59)年 写真No. PNS826 所蔵:西日本鉄道(株)
にしてつニュースの「初詣会員バス」紹介記事」 1959(昭和34)年・1960(昭和35)年・1961(昭和36)年 所蔵:西日本鉄道(株)

 
 
 
 
 
 

帰省バスの運行


西日本鉄道では1962(昭和37)年12月から、年末年始の会員制「帰省バス」を運行して人気を博しました。1950年代以降、就職や大学進学などで九州から関西への移住者・転勤者が増え、年末の帰省シーズンになると関西地区から九州への帰省客が激増して、国鉄や在阪の交通機関が著しい混雑となっていました。
 阪急電鉄や近畿日本鉄道なども同年から大阪ー福岡間の会員バスを運行しましたが、西鉄は同区間を片道会費2,000円、所要時間16時間で運行しました。国鉄でようやく電化が始まった時代で、全国的に国道の舗装化など道路事情が良くなり、中長距離用のバス車両の近代化(冷房化・リクライニングシート導入など)が進んだことも、帰省バスの人気に拍車をかけました。
 翌1963(昭和38)年8月にはお盆の帰省バス(大阪ー福岡間)も運行を開始しています。
 
帰省バス(福岡バスセンター前)
1970(昭和45)年頃 写真No. NBS702/所蔵:西日本鉄道(株)
  帰省バス(福岡バスセンター前)
1970(昭和45)年頃 写真No. NBS710/所蔵:西日本鉄道(株)
 
帰省バス(福岡バスセンター前)
1970(昭和45)年頃 写真No. NBS711/所蔵:西日本鉄道(株)
  帰省バス(福岡バスセンター前)
1970(昭和45)年頃 写真No. NBS712/所蔵:西日本鉄道(株)
 
帰省バス(福岡バスセンター前)
1970(昭和45)年頃 写真No. NBS701/所蔵:西日本鉄道(株)
  帰省バス「関西会員バス」にしてつニュース記事
1963(昭和38)年1月号 所蔵:西日本鉄道(株)

【関連ページ】   帰省バス(1960ー70年代にしてつ画像ライブラリー

にしてつニュース 
「三瓶山スキーバス」記事 
1964(昭和39)年1月号
所蔵:西日本鉄道(株)
大山・三瓶山スキーバス運行ポスター 
1968(昭和43)年 写真No. PNS917
所蔵:西日本鉄道(株)
大山・三瓶山スキーバス運行ポスター 
1969(昭和44)年 写真No. PNS991
所蔵:西日本鉄道(株)

スキーバス運行開始


 西日本鉄道の「会員バス」は、マイカー所有率が低かった1950〜1960年代に人気を呼び、様々なバスツアーが運行されました。1963(昭和38)年12月には鳥取県三瓶山へのスキーバスの運行を開始、翌64(昭和39)年には鳥取県大山へのスキーバスが登場して人気を集めました。
 当時は1961(昭和36)年に公開されたトニー・ザイラー主演の洋画「白銀に躍る」や翌1962(昭和37)年公開の「アイガー氷壁 決死の救援」でスキーブームが起こり、同年の加山雄三主演「銀座の若大将」にもスキーが登場するなど、スキーが冬のレジャーとして定着し始めた時代です。
 
スキーバス(三瓶山)
1964(昭和39)年1月 写真No. BZB062/所蔵:西日本鉄道(株)
  スキーバス(三瓶山)
1964(昭和39)年1月 写真No. BZB063/所蔵:西日本鉄道(株)
 
スキーバス(三瓶山)
1964(昭和39)年1月 写真No. NKG013/所蔵:西日本鉄道(株)
  スキーバス(三瓶山)
1964(昭和39)年1月 写真No. NKG010/所蔵:西日本鉄道(株)
 
スキーバス(三瓶山)
1975(昭和50)年頃 写真No. N15-29P078/所蔵:西日本鉄道(株)
  スキーバス「大山・ハチ高原へ」ポスター
1976(昭和51)年 写真No. PNS897/所蔵:西日本鉄道(株)

【関連ページ】   昭和のスキーバス(島根・三瓶山1960—70年代)にしてつ画像ライブラリー

 
にしてつニュース 
「日本一周の旅へ」記事
 
1969(昭和44)年5月号
所蔵:西日本鉄道(株)
 
 
 

日本一周バス旅行


 西日本鉄道の会員バスは、マイカーブームが定着する1970年代前半まで長距離ツアーが人気を集めました。1964(昭和39)年10月の「東京オリンピック観戦ツアー(8泊9日)」や1970(昭和45)年の大阪万博期間中に運行された「万博会場直行バス」に続いて、1969(昭和44)年には「日本一周バスツアー(日本一周観光団)」が企画されました。これは同年7月5日からの22泊23日間で全行程約6,300kmをすべてバスによる移動で観光するもので、40人乗りデラックスバスを使用して会費は10万円でした。
 日本一周バスは1973(昭和48)年の第5回まで開催されて大人気となりました。1975(昭和50)年3月の東海道山陽新幹線の博多延伸開業、さらには1973(昭和48)年11月の九州縦貫自動車道の鳥栖ー熊本間の開通にともなう高速バス「ひのくに号」の登場など、ツアーバスの需要も時代と共に変化。1980年代以降は夜行高速バスも登場するなど、バスによる長距離移動は新しい時代を迎えていきました。
 
日本一周観光団(日本一周バス第1回)出発風景
1969(昭和44)年7月 写真No. p245_1/所蔵:西日本鉄道(株)
  日本一周観光団(日本一周バス第2回)出発風景
1970(昭和45)年7月 写真No. NBS319/所蔵:西日本鉄道(株)
 
日本一周観光団(日本一周バス第2回)出発風景
1970(昭和45)年7月 写真No. NBS321/所蔵:西日本鉄道(株)
  日本一周観光団(日本一周バス第2回)出発風景
1970(昭和45)年7月 写真No. NBS322/所蔵:西日本鉄道(株)
 
日本一周観光団(日本一周バス第2回)出発風景
1970(昭和45)年7月 写真No. NBS315/所蔵:西日本鉄道(株)
  大阪直行バス
1974(昭和49)年 写真No. BZB053/所蔵:西日本鉄道(株)


 
 
 
 
 

西鉄旅行60周年企画「日本一周ツアー」


 西鉄旅行は2014(平成26)年11月に1954(昭和29)年の会社設立から60周年を迎えました。同社は60周年を記念して「これがほんとの日本一周!」と銘打っての全都道府県踏破の旅(23日間/10月3日、11月3日出発)と「グレイト・ザ・九州」(9日間/12月5日出発)を実施。どちらのコースも“ゆったり”をコンセプトに、コースや時間、バス座席(おひとりにつき2席利用)、宿泊などにたっぷりとゆとりを設け、さらにバスならではの多彩な工程で好評を博しました。
 ちなみに、西鉄旅行の創業(起源)は1948(昭和23)年で、パンアメリカン航空の代理店となって旅行業を開始しています。1949(昭和24)年秋、プロ野球のパ・リーグ発足とともに新規加盟した「西鉄クリッパース」ですが、パンアメリカン航空の飛行艇「クリッパース(快速船)」が球団ニックネームとなりました。1951(昭和26)年1月30日、西鉄クリッパースと西日本パイレーツ(セ・リーグ)が合併して「西鉄ライオンズ」が誕生しました。
西鉄旅行「これがほんとの日本一周!」バスツアー・リーフレット  2014(平成26)年10月 所蔵:西鉄旅行(株)
西鉄旅行60周年「これがほんとの日本一周!の出発風景
2014(平成26)年10月 所蔵:西日本鉄道(株)
 
 

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