松永安左エ門は九州鉄道(現西鉄天神大牟田線)の開業に合わせて沿線の開発にも尽力しました。起点駅・九鉄福岡駅のある天神町交差点には、博多電気軌道線(現渡辺通り)を挟んだ向い側に賃貸店舗の商店街「九鉄マーケット」を1924(大正13)年に開業します。これは天神地区初の商店街であり、その後天神が商業都市として発展するきっかけとなりました。
また、松永は九州鉄道開業前の1920(大正9)年頃から沿線の春日原付近の開発を計画。小林一三の阪急沿線開発を参考に、地元有力者と接触して用地買収と住宅地開発を目論みましたが、不況の影響で開発を見合わせ春日原駅周辺に春日原総合運動場(野球場・球技場・テニスコート・ラグビー場・納涼場・遊園地など)を建設し、九州鉄道が開業した後の1924(大正13)年7月から10月にかけて順次開業しました。
なかでも春日原野球場は5000人収容のスタンドを備える九州初の本格的な施設で、同じ年に開業した阪神・甲子園球場にちなんで「九州の甲子園」と呼ばれ、中等学校野球大会をはじめとする大規模な大会の開催地となりました。戦後、西鉄クリッパースや後進の西鉄ライオンズは春日原球場を本拠地とし、1953(昭和28)年まではプロ野球の公式戦も行なわれました。(翌昭和29年以降、野球場をはじめとする総合運動場は松永らの当初計画に沿って宅地化)
1926(大正15)年5月には系列の大保土地経営が大保駅近くに「大保ゴルフ場」をオープンします。当初は面積約8万坪・9ホールの設備でしたが、1934(昭和9)年6月に九州鉄道に合併され、同年10月に18ホールに拡張し公式競技場となりました。その後、1938(昭和13)年3月に運営主体として福岡ゴルフ土地が設立され、1940(昭和15)年9月には日本プロ選手権競技大会の会場となるなど、福岡の名門ゴルフコースとなりましたが、戦時下の1944(昭和19)年に陸軍被服工場用地として買収され閉鎖されました。