福岡市中心部を東西に貫く道路(市道千代今宿線)は、にしてつの前身・福博電気軌道の開設時に整備されました。現在の「明治通り」という名称になったのは福岡市制施行100周年記念の1989(平成元)年です。それ以前は西鉄福岡市内線の貫通線(通称:貫線)の道路ということで「貫線」という名称で親しまれました。水上公園の再整備オープンなど天神明治通り地区の再開発計画が進むなか、天神・明治通りの歴史と景観の変遷を「天神明治通りの景観変遷」としてご紹介します(文責:益田啓一郎)。


 

伊藤伝右衛門の銅御殿

1925(大正15)年 所蔵:益田啓一郎
写真No. FHMS14
 
万町のS字カーブ付近、大名町教会の奥には福岡城址が見える
1952(昭和27)年頃 撮影:小田部秀彦
写真No. KOTA008

天神交差点から万町(西鉄グランドホテル前)にかけては大きな屋敷が続き目立った建物が無かったため、昭和初期までは写真自体が少ないのが実情です。その頃最も目立った建物は炭坑王・伊藤伝右衛門の邸宅で、当時の写真帖にも掲載されるほどの威容だったとか。1927(昭和2)年の火災で伝右衛門邸は火災焼失し、焼け残った門は飯塚市幸袋の旧伊藤伝右衛門邸に移築され現存します。界隈に証券取引所が移転新築以降、1930年代には明治通りに証券会社や銀行支店が次々と開設されて金融街の様相となりました。同じ時期に西日本新聞社の前身にあたる九州日報も本社を移転しています。戦災を経て戦後復興期以降は映画館や新聞社支社も続々開設されています。

 
新天町入口付近を進む西鉄ライオンズ優勝パレード、左端に移設前の名島門
1956(昭和31)年 所蔵:西日本鉄道(株)
写真No. ZSL107
 
万町のカーブを進む西鉄ライオンズの優勝パレード
1956(昭和31)年 所蔵:西日本鉄道(株)
写真No. NLL132
 
万町電停付近
1956(昭和31)年頃 所蔵:益田啓一郎
写真No. FMTP516
 
万町角にあった旧西鉄本社(現・西鉄グランドホテルの場所)
1956(昭和31)年頃 所蔵:西日本鉄道(株)
写真No. NKR734
 
万町のカーブを進むKBC九州朝日放送テレビ開局記念パレード
1958(昭和33)年 所蔵:西日本鉄道(株)
写真No. NLZ855
 
万町急カーブの軌道の移設(緩和)工事
1959(昭和34)年頃 所蔵:西日本鉄道(株)
写真No. NTBR973
 
万町電停付近
1959(昭和34)年頃 所蔵:益田啓一郎
写真No. FF8011
 
西鉄グランドホテル建設中の万町、左奥は天神西通り
1968(昭和43)年頃 所蔵:西日本鉄道(株)
写真No. NGEP741

藩政時代の名残りである万町のS字急カーブの場所では、たびたび福岡市内線の電車の脱線事故が起きました。急カーブは段階的にカーブは改軌され、現在の緩やかなS字カーブになりました。1969(昭和44)年4月、旧西鉄本社の跡地に西鉄グランドホテルが開業以降も明治通り沿いは高層ビル建設が続きました。1975(昭和50)年11月1日限りで福岡市内線貫通線が廃止され、現在までビルの建て替えが進んで界隈は高層ビルに囲まれましたが、一方で明治通りの歩道整備が進み沿道に木々が茂る緑豊かなメインストリートとなりました。

 
西鉄グランドホテル建設中の万町、左奥は天神西通り
1968(昭和43)年頃 所蔵:西日本鉄道(株)
写真No. NZS087
 
西鉄グランドホテルと付近空撮
1969(昭和44)年頃 所蔵:益田啓一郎
写真No. FMTP515
 
竣工当時の西鉄グランドホテル全景
1969(昭和44)年 所蔵:西日本鉄道(株)
写真No. NKG107
 
竣工当時の西鉄グランドホテル夜景
1969(昭和44)年 所蔵:西日本鉄道(株)
写真No. NKG108
 
廃止前の福岡市内線と西鉄グランドホテル
1975(昭和50)年頃 西日本鉄道所蔵 撮影:松嶋克廣
写真No. MNFS421
 
福岡市内線廃止後の旧万町付近
1976(昭和51)年頃 所蔵:益田啓一郎
写真No. FMTP517
 
 

にしてつWEBミュージアム・トップページへ
 
 
個人情報の取り扱いに関する基本方針個人情報に関する公表事項サイト利用規定
 企画・制作 西日本鉄道株式会社 Copyright(C) 2000-2016 by Nishi-Nippon Railroad Co., Ltd.