1954(昭和29)年3月5日、宮地岳線西鉄博多ー多々良間を1067mmから1435mmへ改軌、1500Vから600Vへの降圧を行なうと共に複線化を実施。該当区間の宮地岳線の駅をすべて停留場に改め、福岡市内線の宮地岳線への乗入れが実現しました。同時に西鉄博多は「新博多」、西鉄多々良は「競輪場前」に名称変更され、新たに「浜松町」停留場が設けられました。
これにより競輪場前(現・貝塚)駅は福岡市内線の乗り換え駅となり、宮地岳線の運転区間(競輪場前ー津屋崎)は最大1時間に4本への増発が実施されました。さらに1957(昭和32)年4月15日、福岡市や沿線住民の強い要望に応える形で競輪場前ー運動場前間を一日54往復から102往復へ、運動場前ー津屋崎間を43往復から75往復へと増発し(ラッシュ時は2両連結、日中は単車運転)、競輪場前ー津屋崎間の所要時間は45分から40分へと短縮。昼間は約12分間隔の運転となりました。
輸送力増強を図る一方、競輪場前ー運動場前間を道票閉塞方式から単線自動閉塞方式に改めるなど保安施設の改良も図られ、1962(昭和37)年11月15日から朝のラッシュ時の3両連結運転も開始。さらに1955(昭和30)年2月1日から西鉄新宮駅では乗車券発売、出改札などの駅業務の委託を開始し、以降宮地岳線各駅の業務委託が進められました。運行と駅業務を分離する事で、利用者の利便性向上と合理化を同時に進める事ができたのです。 |