1942(昭和17)年9月、福岡県内の私鉄5社(博多湾鉄道汽船、九州電気軌道、九州鉄道、筑前参宮鉄道、福博電車)が合併し西日本鉄道が誕生。博多湾鉄道汽船の路線は、西鉄宮地嶽線(貝塚線の前身)・西鉄糟屋線(JR香椎線の前身)となりました。ちなみに、新社名の名付け親は博多湾鉄道汽船の社長・太田清蔵(四代目)でした。

 1944(昭和19)年5月、戦時買収によって石炭をはじめとする西日本鉄道の貨物輸送の大半を担っていた糟屋線と宇美線(旧筑前参宮鉄道線)は運輸通信省に移管、国有化されました。これにより、西鉄の鉄道事業は旅客輸送主体の傾向を一層強めていきます。

 終戦後の1948(昭和23)年12月、日本発送電名島発電所への石炭輸送強化のため、同社の要請により西鉄福岡市内線との連絡輸送を実施すべく、新博多駅に福岡市内線との連絡線設置の認可を受けます。新博多駅は1950(昭和25)年5月1日に「西鉄博多」と改称、遡る4月20日に農科裏信号所での旅客取扱を開始し「西鉄多々良駅(現・貝塚駅)」が開設されました。

 また1950年度には電気機関車200形2両を導入し、貨物列車をけん引していた蒸気機関車が全廃されました。国鉄から払い下げを受けた木造電車や大牟田線から転籍した車両を電車化するなどで在籍車両は2両編成8組、3両編成4組の計12組28両に増強されました。これにより同年7月のダイヤ改正では和白ー西鉄古賀間で1時間に最大2本から4本への増発を行いました。

 さらに1951(昭和26)年7月1日、それまでの終点・宮地岳駅を移転し西鉄福間ー津屋崎間の新線2.7kmが新たに営業を開始しました。

 
 
復興期に活躍した3両編成の宮地岳線電車。
1951(昭和26)年頃 撮影:小田部秀彦
 
津屋崎延長線の開通祝賀電車。
1951(昭和26)年7月1日 所蔵:西日本鉄道(株)
 
     

 
 
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