1973(昭和48)年5月10日、従来の特急用車両1000形の代替として大牟田線に新型特急用車両2000形24両がデビューしました。第4次輸送力増強5カ年計画の一環として導入された2000形は、輸送力の増強や乗客へのサービス向上に主眼をおき設計された車両です。冷房装置を完備、転換式座席や電照式行先表示装置の設置、乗降時の混雑緩和のための幅の広い両開き式ドアの採用など、快適な輸送サービスにつながる工夫・改善が随所に見られ、1974年度の鉄道友の会ローレル賞を受賞しました。当時、西鉄初の出来事であり、九州の鉄軌道初の快挙でした。

 さらに1975(昭和50)年10月、通勤用5000形車両が大牟田線にデビュー。アイスグリーンにボンレッドの帯のボディーカラーで登場し、座席を全てロングシート化して収容力のアップを図るとともに、3両固定編成と4両固定編成の2タイプを使用して最大7両連結運転を可能にし、輸送力増強とラッシュ時の混雑緩和に大きな力を発揮しました。5000形は1988年度までに136両が導入され、現在に至るまで大牟田線の主力車両として活躍しています。

 5000形の導入により旧型車両72両を代替し、1985年度には非冷房車両が大牟田線から姿を消し、全車両が車体長18〜19mの大型車両に統一されました(代替された旧型車両の一部は宮地岳線へ転籍)。大牟田線の保有車両数は1985年度には269両と増加、そのため車庫の収容力や検車内容の充実を図るために二日市車庫に代わる車両基地として、1976年度から筑紫車庫の整備を開始し1982(昭和57)年3月25日に車庫の使用を開始。1987(昭和62)年1月には筑紫車庫に工場も開設され、月に210両の検査能力のある車両基地が完成しました。

 また、1978(昭和53)年3月3日、平尾ー大橋間の連続立体交差化事業による高架線が開通。1971年の着工から6年半を要した大工事により、都市計画街路6本を含む22本の道路と立体交差し、15カ所の踏切が廃止されました。大橋駅は高架化により移転し高架駅として開業すると同時に急行停車駅となり、高架駅の階下には大橋西鉄名店街などが設けられました。高宮駅も同じく高架駅となり、半年後階下に高宮西鉄名店街が完成しました。

 1983(昭和58)年3月26日のダイヤ改正で、福岡ー大牟田間の全通以来40年の宿願であった同区間の特急60分運転が実現しました。福岡ー久留米間の特急は30分運転、急行は34分運転となりました。さらに同年11月26日には福岡駅の改造が完了。高架化以来の大改造では、すべてのホームで7両連結車が発着できるようになり、発着ホームを5線5ホームから3線3ホームに減らし乗降ホームの幅を従来の倍以上である11〜14mに拡大。コンコースの奥行きも35mに拡張したことで乗降時の流れがスムーズになり、混雑の緩和に大きな効果を発揮しました。

 この時期、筑後川橋梁の架け替え(1981年3月)、柳川駅の改築(1980年4月)、筑紫駅の移転新築(1981年9月)、雑餉隈駅を橋上駅化(1981年12月)、朝倉街道駅の改築(1983年11月)などが行なわれ、西鉄駅として初めて福岡駅にエスカレーターが設置されました(1984年4月)。

 
 
昭和49年度のローレル賞を受賞した2000形。写真は福岡駅構内にてローレル賞記念プレート搭載車。
1974(昭和49)年 
所蔵:西日本鉄道(株)山本魚睡眠コレクション
 
改装で3ホームすべて7両連結の列車発着が可能となった福岡駅と5000形。
1984(昭和59)年頃 所蔵:西日本鉄道(株)
 
平尾ー大橋間高架化開通式
1978(昭和53)年3月3日
所蔵:西日本鉄道(株)山本魚睡コレクション
 

 
 
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