1950年代から60年代にかけて車両の新造や施設の拡充が進む中、大牟田線の福岡駅到着車両数(午前8時〜9時)は1958年度の56両から、高架駅開業後の1963年度には71両へと増加し輸送力は約3割増強され、輸送人員は着実に増加しました。

 1957(昭和32)年2月11日からは福岡ー太宰府間の終日直通運転が始まり、1960(昭和35)年8月1日には甘木線が軌道から鉄道への昇格認可を受けて大牟田線に編入されました。一方、大川線(1951年9月25日営業休止、66年5月6日廃止)や福島線(1958年11月26日限り)が廃止され、バスによる代替輸送が始まりました。低迷を続けていた貨物輸送も1960(昭和35)年から63(昭和38)年にかけて全面廃止されています。

 大牟田線では1964年度から第2次輸送力増強3カ年計画に着手。600形通勤用車両17両を新造したのをはじめ、65年から67年にかけて10形・20形・100形3両編成11組について電動機を交換して出力増強を行い、スピードアップに備えました。

 また、1965(昭和40)年11月20日に開ー倉永間、66(昭和41)年9月29日には大善寺ー三瀦間と大溝ー蒲池間の複線化工事を完了。その結果、福岡ー大牟田間75.1kmのうち73.6%にあたる55.3kmの複線化が実現しました。単線・複線の境界駅の信号制御の自動化や津福駅の蓄積制御化など安全面の取り組みも積極的に行なわれました。同様に駅舎の改良も行なわれ、1964〜65年度には白木原、開など9駅が改築されました。跨線橋も柳川駅(1965年)、小郡駅(1967年)、井尻駅(1967年)と新設され、利便性を高める取り組みが続きました。

 1967年〜71年度には第3次輸送力増強5カ年計画が始まり、車両の新造・改造をはじめ、7両連結運転のためのホーム延伸や停留場の改良などが進められています。櫛原ー花畑間の西鉄久留米駅付近の踏切道は、1965(昭和40)年8月に踏切道改良促進法の指定を受け立体交差化工事に着手し、3年5ヶ月の工事期間(総工費31億3000万円)を経て1969(昭和44)年3月1日に高架新線が開通しました。

 高架化にあたり久留米駅は8両連結が発着できるようホームを156mに延長するとともに、新たに駅ビルが建設されました。ホームは3階部分に設けられ、1階にはタミー、2階には味のタウンと久留米西鉄名店街が開業。同年10月10日はバスセンターが営業を開始し、駅ビルが完成して全面オープンを迎えたのは1969(昭和44)年12月1日でした。

 1970(昭和45)年4月28日に西鉄栄町駅は新築移転して新栄町駅と改称され、7両連結列車が発着できる140mのホームが完成しました。3階建ての駅ビルも同じ日に営業を開始し、大牟田西鉄名店街や味のタウン、バス発着所も新設されました。1971(昭和46)年3月1日には、西鉄の桜台団地開発に伴って戦後3番目の駅として桜台駅が開業しました。

 
 
福岡駅の朝のラッシュ時の状況
1967(昭和42)年頃 所蔵:西日本鉄道(株)
 
西鉄久留米駅高架化 開通祝賀式
1969(昭和44)年3月1日 所蔵:西日本鉄道(株)
 
移転新築した新栄町 開通祝賀式
1970(昭和45)年4月28日 所蔵:西日本鉄道(株)
 

 
 
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