大牟田線福岡駅の高架化工事は、福岡市の戦災復興土地区画整理事業および都市計画街路事業に協力する形で始まりました。前者は天神町交差点から渡辺通一丁目までの道路(渡辺通り)を18mから50mに拡幅する計画で、大牟田線の福岡駅ー薬院新川間780mの線路を西側に60mほど平行移設するという内容。後者は都市計画街路松園ー西新間(国体道路)と平面交差する大牟田線の踏切を除去することを目的にしていました。
1959(昭和34)年8月21日、福岡市の協力要請に対して西鉄は協力を決定。12月12日に福岡駅および同駅起点から638mの区間について高架移設する旨を回答しました。
西鉄の計画は、将来の利用客増加と輸送力増強に対応した施設の拡充と、福岡駅を近代的なターミナルビルに建替え、高架下にバスセンターや商業施設が入居するというものでした。工費総額は13億8000万円で、このうち約2億2000万円は国庫補助金と福岡市の負担金が交付され工事が着工されました。
1960(昭和35)年3月、仮営業線と仮福岡駅の工事が着工し同年7月に完成。高架化工事は同年9月1日に着工され、翌61(昭和36)年10月末に竣工して11月1日午前5時10分に高架化された新福岡駅から一番電車が発車しました。
高架化された福岡駅は、2階部分に最大6両編成が発着可能な5線5ホームと改札口(北口)が設けられ、改札を出ると岩田屋百貨店へ直接入れる構造としました。2階ホームから降りた南口にも改札口が設けられ、ホームの両端から乗降できるようになりました。
ホーム下の1階と地下1階には案内所・手荷物預かり所といった駅関連施設のほか、衣料品・雑貨・食料品などの専門店で構成される商業施設「西鉄名店街」が開設され、隣接する南側線路下には福岡バスセンターが開設されて、電車とバスの乗り換えが直結した日本初のターミナルの誕生でした。 |