九州鉄道では開業前から大牟田・熊本への路線延長を構想、久留米ー大牟田間の計画を立てますが出願は却下されていました。難局を打開すべく、九州鉄道は大川鉄道の経営権取得を目指します。1909(明治42)年設立の大川鉄道(上久留米ー津福ー大善寺ー若津間を蒸気機関で運転)は三瀦郡大川町ー山門郡柳河町ー三池郡大牟田町間の免許を保有しており、大川鉄道を傘下に収めることで大牟田延長が実現に向けて動き出しました。

 九州鉄道は1927(昭和2)年4月までに大川鉄道の株式を取得し経営権を掌握し、12月15日付で大善寺ー柳河間の地方鉄道免許を取得。国鉄の久大本線と鹿児島本線をまたぐ大工事を経て、1932(昭和7)年12月28日、久留米ー津福間を延長開業しました。

 さらに1937(昭和12)年5月1日付で大川鉄道を合併、大牟田への延長工事は本格化しました。同年10月1日には大善寺ー柳河間17.3kmを開業、福岡ー柳河間58.8kmの直通運転を開始しました。同時に、当時の流行であった流線型を取り入れた「快速軽量電動車」21形電車10両を導入して運転の高速・効率化を目指しました。

 戦時体制下で金融状況が悪化する中、九州鉄道は東邦証券保有からの借り入れによって柳河ー大牟田間の工事に着工。1938(昭和13)年9月1日、柳河ー中島間5.0kmを、10月1日に中島ー大牟田栄町間10.5kmを開業しました。福岡ー大牟田間74.2kmが高速電車によって繋がりましたが、国鉄大牟田駅への乗り入れは用地買収が遅れたために翌1939(昭和14)年7月1日に0.8kmを延長して実現。これで念願の福岡ー大牟田間が全通し、11月1日から急行運転を開始しました。

 大牟田乗入は好評を博し、運転回数の増加と輸送力増大のために客車数をそれまでの40両から120両へ増やす計画が立てられました。1940(昭和15)年度には定員80人の200形増備に加え、定員100人の100形を製造したほか、2車体3台車で240人乗りの「関節式(連接式)」電車500形の設計に着手。二日市車庫の拡充や変電所の増設、大溝ー八丁牟田間および銀水ー栄町間の複線化などを進めました。

 太平洋戦争勃発後の1942(昭和17)年9月1日、戦時体制下で九州鉄道を含む福岡県内の鉄軌道5社(九州電気軌道、九州鉄道、博多湾鉄道汽船、筑前参宮鉄道、福博電車)の合併が成立し、「西日本鉄道」が誕生しました。商号変更登記は9月22日に完了し、九州鉄道は西日本鉄道「大牟田線」となりました。

 
柳河駅付近の鉄道敷設工事。
1937(昭和12)年頃 所蔵:西日本鉄道(株)
 
津福まで開通時の「九鉄急行電車沿線案内」。
1932(昭和7)年 所蔵:益田啓一郎
 
竣功した当初の500形。
1943(昭和18)年頃 所蔵:西日本鉄道(株)
福岡ー大牟田開通時の「九州鉄道沿線案内図」。
1939(昭和14)年 所蔵:西日本鉄道(株)
   

 
 
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