1924(大正13)年7月10日、福岡ー久留米間を開業して間もない九州鉄道は三井電気軌道(甘木線・福島線)を合併しました。これにより宮ノ陣ー久留米間における両社線の平面交差の信号連絡が円滑となり、三井電気軌道が有する電気事業の営業権取得は、親会社である九州電灯鉄道(東邦電力)の電力供給圏の保全に繫がりました。
また、九州電灯鉄道の傘下に入っていた太宰府軌道(1902年設立、1907年商号変更)は914mm軌間の蒸気動力で営業をしていましたが、九州鉄道からの電力供給と車両貸出の許可を受けて、1927(昭和2)年9月24日から1435mmへ軌間を変更し、電車運転と九州鉄道二日市駅への乗り入れを開始しました(二日市ー湯町口間の蒸気軌道は1929年9月19日付で廃止)。
1935(昭和10)年2月、九州鉄道は福岡停留場(初代福岡駅)の土地600坪を岩田屋の関係会社である共栄土地建物に売却。岩田屋は阪急の小林一三の協力を得て、鉄道とデパートの相乗的な利用客増加を狙ったターミナル百貨店として1936(昭和11)年10月7日に開店しました。建物には九州鉄道の乗り場案内が掲示され、1階に乗降客出入り口や通路を設置されましたが、福岡停留場(二代目福岡駅)は岩田屋開業前の3月29日に移転新築されました。
博多電気軌道線(現・渡辺通り)を挟んだ駅の東側には、開業直後に九州鉄道が経営する天神地区最初の本格商店街「九鉄マーケット」が開業していましたが、岩田屋の開業によって天神地区の商業地化が本格的に始まったのです。 |