昭和50年11月1日限りで貫通線・呉服町線・城南線が廃止されてからちょうど40年、
このページでは路面電車が走っていた当時と平成27年現在の風景を、写真で比較してみました。

旧薬院踏切(城南線・城東橋界隈)
1924(大正13)年4月の九州鉄道(現天神大牟田線)開通から3年後、1927(昭和2)年3月に博多電気軌道城南線が開通して、全国的にも珍しい電車同士が平面交差する薬院踏切が誕生した。福岡市内線城南線が廃止されて平面交差の光景を見られなくなったのは、今から40年前の1975(昭和50)年11月である。
 
薬院踏切の平面交差
天神大牟田線の薬院踏切では、全国的にも珍しい鉄道と軌道が平面交差する光景をみることができた。写真は福岡市内線城東橋電停から、大牟田線の電車が通過する薬院踏切を望む。
1975(昭和50)年頃 所蔵:西日本鉄道(株)写真No. NTBS193
 
現在の薬院駅付近
昭和50年11月に福岡市内線城南線が廃止され、平成7年3月25日に天神大牟田線の福岡ー平尾間の連続立体交差化されて、薬院踏切はその役目を終えた。写真は現在の薬院駅付近。
2015(平成27)年10月 撮影:益田啓一郎 写真No.NTBMS101
 
薬院踏切の平面交差
薬院踏切で線路が直角にクロスする光景を、城東橋電停の対面から見るとこんな風に見える。踏切を越える時の独特の音は当時を知る世代には懐かしい。
1975(昭和50)年頃 所蔵:西日本鉄道(株)写真No. NTBS198
 
現在の薬院駅付近
踏切時代は朝夕の通勤時間帯は「開かずの踏切」の代名詞だった城南線の薬院踏切。現在も城南線という名称は残り、ラッシュ時の交通量の多さは相変わらずである。
2015(平成27)年10月 撮影:益田啓一郎 写真No.NTBMS102
     

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