藩政時代の城下町の名残を残す天神(当時は天神町)一帯が、近代化への第1歩を明確に記したのは、今から100年前の1910(明治43)年に旧肥前堀を埋め立てた一帯で開催された「九州沖縄八県連合共進会」でした。この頃天神町一帯には福岡県庁や市庁舎をはじめ、高等女学校などの公共施設があるだけで、現在のような商業施設が集まる繁華街とはほど遠い場末町でした。
 
第13回九州沖縄八県連合共進会の会場風景
1910(明治43)年3月 所蔵:益田啓一郎
第13回九州沖縄八県連合共進会の会場全景
1910(明治43)年3月 所蔵:益田啓一郎
共進会の開催に伴い、同年関西資本による福博電気軌道(貫通線・呉服町線)が開業。一方で博多資本による博多電気軌道(循環線)も共進会終了を待って工事を進め、翌44年秋に開業しました。これにより天神町で2つの軌道が交差し、天神交差点が誕生しました。
 
福博電気軌道の開業
1910(明治43)年3月 所蔵:益田啓一郎
福博電気軌道の路線図絵葉書
1910(明治43)年 所蔵:益田啓一郎
福岡県庁前(現アクロス福岡前)を行き交う福博電気軌道の電車
1913(大正2)年頃 所蔵:益田啓一郎
博多電気軌道の路線計画図
1910(明治43)年 所蔵:益田啓一郎
 
 
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