天神交差点に面した旧福岡ビルの敷地には大正中期まで「福岡高等小学校」がありました。1920(大正9)年春、小学校は現在の警固公園に新築移転し、同年12月、跡地に「福岡郵便局(福岡中央郵便局の前身)」が西中島橋そばから移転してきました。天神交差点周辺がまだ閑散としていた時代です。
 1924(大正13)年4月12日、西鉄天神大牟田線の前身・九州鉄道が福岡ー久留米間39.1kmで運輸営業を開始し、福岡駅も開業しました。同年秋、九州鉄道は通りを挟んだ駅の東側、福岡郵便局隣接地に福岡市内初の賃貸式商店街「九鉄マーケット」を開設。天神交差点周辺ににぎわいが生れました。
 
新築の福岡郵便局。現・天神明治通り沿いで最初の金融機関。
1920(大正9)年12月 所蔵:益田啓一郎
  開業した九鉄福岡駅(初代)全景。
1924(大正13)年頃 所蔵:西日本鉄道(株)写真No. YAST019
 
福岡郵便局前から天神交差点を望む。
1927(昭和2)年3月 所蔵:益田啓一郎
  九鉄マーケットと博軌電車通り(渡辺通り)。
1926(大正15)年頃 所蔵:益田啓一郎

 

 1927(昭和2)年、九州鉄道の子会社「昌栄土地」所有地に「福岡市公設市場」が市役所側から移転してきました。のちに西鉄街・天神コアになる敷地です。隣接する九鉄マーケット等との相乗効果で、天神地区に人が集うようになりました。
 1934(昭和9)年、博多商業会議所(福岡商工会議所の前身)が天神に進出すると、現・明治通り沿いには金融機関や証券会社が次々に進出してきました。
 
福岡市公設市場の内観。
1927(昭和2)年3月 所蔵:益田啓一郎
  信号機が設置された天神交差点と九鉄マーケット。
1935(昭和10)年頃 所蔵:西日本鉄道(株)写真No.FF7230
 
岩田屋屋上から東側、福岡郵便局や中洲方面を望む。
1936(昭和11)年頃 所蔵:益田啓一郎
 

岩田屋百貨店と天神交差点。
1938(昭和13)年頃 所蔵:益田啓一郎


 

 1945(昭和20)年6月19日の福岡大空襲により、天神地区も多くが焼失しました。被害は大きかったものの、天神地区は官公庁や金融機関、学校などの敷地が多く、当時の福岡市の中心繁華街で個人所有地が多かった博多部や東中洲に比べると復興計画がスムーズに進みました。この事が天神地区が戦後いち早く復興し、九州一のビジネス街・繁華街へと成長するきっかけになります。
 1946(昭和21)年には福岡高等女学校跡地に「新天町」が開業し、1948(昭和23)年には「因幡町商店街」、1949(昭和24)年には「西鉄商店街(西鉄街)」が開業しました。戦災復興計画により天神地区の街区が再整備され、現・渡辺通りの東側にあった九鉄マーケット敷地は道路の敷地となり、現在の「因幡町通り」なども整備されました。
 朝鮮戦争を経て1952(昭和27)年4月、占領軍(GHQ)の統制が解除されると、ビル建設なども自由に行えるようになり、天神地区でも金融機関所有地を中心に、次々とビルが建設されました。
 
天神交差点を左折する西鉄福岡市内線の路面電車。道路拡幅工事中。
1952(昭和27)年頃 所蔵:西日本鉄道(株)写真No.N001H4
  現在の因幡町通りが舗装されネオンアーチが設置された。
1952(昭和27)年頃 「因幡町商店街35年史」より
 
天神交差点前を通過する自動車や荷馬車。後方に福岡郵便局が見える。
1954(昭和29)年頃 所蔵:福岡日米協会 写真No. K-029
  占領軍による統制解除を受けて、ネオンサインが設置された西鉄街の夜景。
1952(昭和27)年12月 所蔵:益田啓一郎
 
西鉄街と銀座街(左端の食堂街)の光景。
1958(昭和33)年頃 所蔵:西日本鉄道(株)写真No.FBNT007
  因幡町商店街側から西鉄街・銀座街を望む。緩やかな坂になっている。
1958(昭和33)年頃 所蔵:西日本鉄道(株)写真No.FBNT001
 
昭和30年代前半の西鉄街。五十二万石本舗(如水庵)も見える。
1958(昭和33)年頃 所蔵:西日本鉄道(株)写真No.FBNT005
  西鉄街入口バス停付近(渡辺通り)。
1958(昭和33)年頃 所蔵:西日本鉄道(株)写真No.FBNT008

 

 1955(昭和30)年8月に発生した天神町市場の火災をきっかけに、市場跡地(現・福岡銀行本店の敷地)に銀行・商社・ホテル・商店街(天神町市場)・文化施設などが入居する複合高層ビル「福岡ビル」計画が持ち上がります。翌年には福岡経済界の有志が株主となり「福岡ビル株式会社」が設立されました。
 その後、まちづくり組織「天神町発展会」による仲介で、旧天神町市場・福岡郵便局・福岡銀行本店用地を交換する「土地の三角交換」が実現し、福岡ビルは天神交差点角地での建設が決定。1958(昭和33)年8月、ビル建設が着工しました。
 資材や人件費高騰を受けて資金不足で工事が一時的に中断しましたが、西日本鉄道グループの資金支援を得て1961(昭和36)年12月31日にビルは竣工。屋上ヘリポート運用中止を経て、翌62(昭和37)年4月に全面開業しました。
 
岩田屋屋上からみた1958年当時の福ビル街区全景。
1958(昭和33)年頃 所蔵:西日本鉄道(株)写真No.FBLD001
  解体工事中の旧福岡郵便局(のち福岡ビルの建つ土地)。
1958(昭和33)年頃 所蔵:西日本鉄道(株)写真No.FBLD028
 
福岡ビル起工式に登場した巨大な櫓。福岡ビルの高さを櫓で表現した。
1958(昭和33)年夏 所蔵:西日本鉄道(株)写真No.FBLD045
  福岡ビルの建設風景。東側の西日本ビルから天神交差点方向を望む構図。 
1959(昭和34)年頃 所蔵:西日本鉄道(株)写真No.FBLD185
 
ひと足先に完成した天神ビルから見た福岡ビルの建設風景。
1960(昭和35)年頃 所蔵:西日本鉄道(株)写真No.FBLD183
  空撮による福岡ビルの建設風景。 
1961(昭和36)年頃 所蔵:西日本鉄道(株)写真No.FBLD018
 
完成した福岡ビルを天神交差点、岩田屋側から望む。
1962(昭和37)年1月 所蔵:西日本鉄道(株)写真No.FBLD100
  福岡ビル開業直前に行われた屋上ヘリポートのヘリ試験飛行。
1961(昭和36)年12月 所蔵:西日本鉄道(株)写真No.FBLD085
 
福岡ビル竣工を前に撮影された全景空撮写真。屋上ヘリポートも見える。
1961(昭和36)年12月 所蔵:西日本鉄道(株)写真No.N001H4
  完成した福岡ビルの1階エレベータホールと大賀薬局くすりセンター。 
1962(昭和37)年1月 所蔵:西日本鉄道(株)写真No.FBLD171

 

 1971(昭和46)年5月、因幡町商店街と西鉄街で大規模な火災が発生し、30店舗を全半焼しました。それまでも火災に見舞われてきた2つの商店街では耐火ビル化の検討が本格化し、翌72(昭和47)年11月には西鉄街・因幡町商店街・銀座街を一体化ビルで再開発する計画が始まり、百貨店を誘致する計画が持ち上がりました。最終的に各商店街の意見が分かれ、西鉄街と銀座街が「天神コアビル」に、因幡町商店街は西側・東側でそれぞれビル化することが決定しました。
 1974(昭和49)年4月、商店街の建替え工事期間中の仮店舗「てんじんファイブ」が、のちのイムズビルの場所に開店し、再開発エリアの5つの商店街が共同で設立して「てんじんファイブ商店街」が結成されました。当時流行していた音楽グループ「フインガーファイブ」に因んだ名称で親しまれました。
 
福岡ビル開業後の西鉄街。現在バス停や横断歩道がある部分。
1963(昭和38)年1月 所蔵:西日本鉄道(株)写真No.EHS921
  現在、因幡町通りと呼ばれている明治通りに抜ける道路。
1958(昭和33)年頃 所蔵:西日本鉄道(株)写真No.FBNT016
 
西鉄街と因幡町商店街の大火災後の全景。
1972(昭和47)年頃 所蔵:西日本鉄道(株)写真No.NTKD320
  天神コアビルの建設風景。手前を進むのは新幹線開通「福岡博覧会」花電車。
1975(昭和50)年3月 所蔵:益田啓一郎

 

 1976(昭和51)年6月、西鉄街跡地に「天神コア」が開業しました。地下3階・地上8階建てのビルの地下2階から地上5階には、主に東京や大阪に本店をもつファッション専門店が入居し、6階に紀伊国屋書店、7・8階には飲食店街が登場しました。
 同年11月、因幡町商店街西ブロックの再開発ビル「天神第1名店ビル」が開業し、キーテナントとしてニチイ天神が1階から7階まで入居。地下1・2階と1階の半分に旧因幡町商店街や地元の店舗が入居しました。
 2つのビルは各階通路でつながり、防災機能面では一体化したビルでした。
 前後して、博多大丸が呉服町から西日本新聞会館に移転入居し、天神地下街や岩田屋新館などが相次ぎ開業しました。天神地区の商業集積が進み、第一次天神流通戦争と呼ばれました。
 
天神コア開業当時の全景。電停で路面電車を待つ人々。
1976(昭和51)年6月 所蔵:西日本鉄道(株)写真No.NKG170
  天神コア開業時の広告チラシ。
1976(昭和51)年6月 所蔵:益田啓一郎
 
天神第1名店ビル・ニチイ天神(のち天神ビブレ)開業当時の全景。
1976(昭和51)年11月 「因幡町商店街35年史」より
  ニチイ天神が「ビブレ21」にリニューアル後の天神コア・ビブレの全景。
1984(昭和59)年頃 所蔵:西日本鉄道(株)写真No.NSC003

 

 2018(平成30)年8月、福ビル街区建替プロジェクトが発表され、再開発が動き出しました。
 新ビルの開発コンセプトは「創造交差点〜meets different ideas」。アジアのゲートウェイ、九州一の商業エリア、職住接近のコンパクトシティといった特徴を活かしたヒト、モノ、情報の交差により、常に新しいビジネスと文化を生み出す「アジアでもっとも創造的なビジネス街」化構想です。
 2019(平成31)年3月末で福岡ビルが閉館。翌2020(令和2)年2月に天神ビブレ、同3月末には天神コアが閉館して解体工事が行われ、2022(令和4)年以降は建設工事が本格化しました。
 
福岡ビルが閉館し、解体工事が始まった頃の福ビル街区全景(天神ビルより)
2019(令和元)年7月 所蔵:西日本鉄道(株)写真No.NGKW308
  福岡ビル閉館の日、屋上からの光景。
2019(平成31)年3月31日 所蔵:西日本鉄道(株)写真No.NGKW307
 
基礎工事が終わり地上部分の建設工事が始まった頃の福ビル街区全景。
2023(令和5)年2月 所蔵:西日本鉄道(株)写真No.20230213_屋上
  大型クレーンがフル稼働し、建設工事中が進む福ビル街区全景。
2023(令和5)年7月 所蔵:西日本鉄道(株)写真No.20230717_屋上

 

 2025(令和7)年4月24日、福ビル街区の再開発ビル「ONE FUKUOKA BLDG.(ワン・フクオカ・ビルディング)」が開業しました。
 ONE FUKUOKA BLDG.は幅約100m、奥行約70m、高さ約97mという圧倒的な規模感で、福岡の新たなシンボルとして存在感を放つ建物となりました。→ワン・フクオカ・ビルディング公式サイト
 18・19階には、全41室のハイクオリティなライフスタイル型ホテルとして「ONE FUKUOKA HOTEL」が開業。福岡の街を一望できるルーフトップバーなどが注目を集めています。

 8〜17階のオフィスフロアは、西日本最大規模の基準階面積を誇り、BCPやセキュリティ対策、環境性能に優れた高質なグローバル企業も対応できるハイスペックオフィスです。

 6・7階に設けられた九州最大級の「SKY LOBBY(スカイロビー)」は、天神交差点を一望できる開放的な景観で、コンセプトである「創造交差点」を象徴する場として、様々な交流を生み出します。

 地下2階〜5階の商業フロアには、ここにしかない新業態や旗艦店、食の都・福岡ならではのフードゾーン等を展開しています。5階には天神ワーカーや来街者へ開かれた「天神福食堂」も開設されました。

 地下2階は地下鉄天神駅や天神地下街と直結し、因幡町通り側の地下通路沿いには天神地区の歴史がひと目でわかる「天神歴史年表」が設置されています。

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