筑紫電気軌道として最初に路線認可を
受けた際の路線(黒線)と天神に変更した際の路線比較。現在の西中洲付近が最初の駅予定地だった。
作成:西日本鉄道(株)
 
 

九州鉄道開業と急行電車


 西鉄天神大牟田線の前身・九州鉄道は1924(大正13)年4月12日、福岡ー久留米間39.1kmで開業しました。
 九州鉄道の最初の計画では筑紫郡住吉村(現・福岡市中央区春吉・西中洲)が起点でしたが、のちに天神町(現・福岡パルコの場所)に変更されました。1922(大正11)年9月に工事着工し18ヶ月の工期を経ての開業でした。
 開業時の福岡ー久留米間の所要時間は55 分、運賃は福岡ー二日市間が片道31 銭、福岡ー久留米間が同65銭でした。新聞広告や街頭ポスター、飛行機によるビラ撒きなど積極的な宣伝活動が行なわれ、「九鉄急行電車開通」「電車ハ汽車ヨリモ早ウ御座イマス」と国鉄よりも利便性が高いことを強調しました。
 開業時の1 形電車は高出力(340馬力)・大型車両(15.3m、定員96人)の高性能車で、電圧1500Vや連結運転のための総括制御方式も採用し、全線にわたり自動信号が採用されるなど、当時の最先端技術が注ぎ込まれました。



 
開業当時の初代・九鉄福岡駅全景
1924(大正13)年 所蔵:西日本鉄道(株)写真No.NWNB904
  開業前の試乗会で春日原駅に停車中の電車(AIカラー着色)
1924(大正13)年4月 所蔵:西日本鉄道(株)写真No.NTBR338
九州鉄道路線図「九州鉄道沿線案内」1924(大正13)年発行 所蔵:西日本鉄道(株)
 
 
 
 
 
 
 
井尻ー雑餉隈間の国鉄跨線橋を通過する電車(AIカラー着色)
1924(大正13)年4月 所蔵:西日本鉄道(株)写真No. MCP501
  開業当時の筑後川橋梁を渡る電車(AIカラー着色)
1924(大正13)年 所蔵:西日本鉄道(株)写真No. ZZP401
     
 1924(大正13)年7 月10日、福岡ー久留米間を開業して間もない九州鉄道は三井電気軌道(のちの西鉄甘木線・福島線)を合併しました。太宰府軌道(1902 年設立、1907 年商号変更・914mm 軌間の蒸気動力)は九州鉄道からの電力供給と車両貸出を受けて、1927(昭和2)年9 月24 日から1435mm へ軌間を変更し、電車運転と九州鉄道二日市駅への乗り入れを開始しました。現在の太宰府線です。
 1930(昭和5)年11 月3 日には福岡ー久留米間で急行運転を開始。所要時間45 分、120 分間隔で運行し、利便性の向上に努めました。



 
初詣客でごった返す九鉄二日市駅ホームの光景(AIカラー着色)
1930(昭和5)年頃 所蔵:西日本鉄道(株)写真No.NTSR548
  九鉄久留米駅を出発する電車(AIカラー着色)
1930(昭和5)年頃 所蔵:西日本鉄道(株)写真No.ZZP411

 
岩田屋開業の頃(AIカラー着色)
1936(昭和11)年10月頃 所蔵:益田啓一郎
 
 

九州初のターミナル百貨店誕生


 1935(昭和10)年2月、九州鉄道は初代福岡駅の土地600坪を岩田屋の関係会社である共栄土地建物に売却。岩田屋は既に日本初のターミナル百貨店(阪急百貨店)を成功させていた阪急・小林一三の協力を得て、鉄道とデパートの相乗的な利用客増加を狙った九州初のターミナル百貨店として1936(昭和11)年10月7日に開店しました。
 建物には九州鉄道の乗り場案内が掲示され、1階に乗降客出入り口や通路・待合所を設置しました。岩田屋開店に先駆けて、福岡停留場(二代目福岡駅)は同年3月29日に移転新築されて営業を開始しました。
 博多電気軌道線(現・渡辺通り)を挟んだ駅の東側には、開業直後に九州鉄道が経営する天神地区最初の本格商店街「九鉄マーケット」が開業していましたが、岩田屋の開業によって天神地区の商業地化が本格的に始まりました。



 
2代目・九鉄福岡駅ホーム
1936(昭和11)年3月 所蔵:西日本鉄道(株)写真No.NTBR428
  2代目・九鉄福岡駅(右)と岩田屋前の待合所(現在の福岡PARCO前通路)
1938(昭和13)年頃 所蔵:西日本鉄道(株)写真No. NTBR429
 
津福延伸の頃に発行された絵葉書「九鐵急行電車沿線案内図」
1933(昭和8)年頃 所蔵:益田啓一郎
  岩田屋開業前に配布された絵葉書セットより「福岡岩田屋全景」
1936(昭和11)年 所蔵:益田啓一郎

 
九州鉄道・本線乗車区数早見表
1933(昭和8)年頃 所蔵:西日本鉄道(株)
 
 

大牟田延伸、福岡ー大牟田間全通。


 九州鉄道では開業前から大牟田・熊本への路線延長を構想、久留米ー大牟田間の計画を立てますが出願は却下されました。難局を打開すべく、九州鉄道は大川鉄道の経営権取得を目指します。1909(明治42)年設立の大川鉄道(上久留米ー津福ー大善寺ー若津間を蒸気機関で運転)は三瀦郡大川町ー山門郡柳河町ー三池郡大牟田町間の免許を保有しており、大川鉄道を傘下に収めることで大牟田延長が実現に向けて動き出しました。
 九州鉄道は大川鉄道の株式を取得し経営権を掌握。1927(昭和2)年12月に大善寺ー柳河間の地方鉄道免許を取得し、国鉄の久大本線と鹿児島本線をまたぐ大工事を経て、1932(昭和7)年12月28日に久留米ー津福間を延長開業しました。
 さらに1937(昭和12)年5月1日付で大川鉄道を合併して延長工事が本格。同年10月1日には大善寺ー柳河間17.3kmを開業、福岡ー柳河間58.8kmの直通運転を開始しました。同時に、当時の流行であった流線型を取り入れた「快速軽量電動車」21形電車10両を導入して運転の高速・効率化を目指しました。


 
九州鉄道延伸工事及び西鉄柳河駅の建設風景
1936(昭和11)年頃 所蔵:西日本鉄道(株)写真No. NTBR278
  九州鉄道栄町駅開通
1938(昭和13)年10月(西部毎日新聞10月2日記事より)



 戦時体制下で金融状況が悪化する中、九州鉄道は東邦証券保有からの借り入れによって柳河ー大牟田間の工事に着工。1938(昭和13)年9月1日、柳河ー中島間5.0kmを、10月1日に中島ー大牟田栄町間10.5kmを開業しました。
 福岡ー大牟田間74.2kmが高速電車によって繋がりましたが、国鉄大牟田駅への乗り入れは用地買収が遅れたために翌1939(昭和14)年7月1日に0.8kmを延長して実現。これで念願の福岡ー大牟田間が全通し、全線で11月1日から急行運転を開始しました。
福岡ー大牟田間全通時に製作された沿線案内 1939(昭和14)年 所蔵:西日本鉄道(株)
福岡ー大牟田間全通記念の試乗券
1939(昭和14)年 所蔵:西日本鉄道(株)
 
 
 



 九州鉄道では開業前から大牟田・熊本への路線延長を構想、久留米ー大牟田間の計画を立てますが出願は却下されました。難局を打開すべく、九州鉄道は大川鉄道の経営権取得を目指します。1909(明治42)年設立の大川鉄道(上久留米ー津福ー大善寺ー若津間を蒸気機関で運転)は三瀦郡大川町ー山門郡柳河町ー三池郡大牟田町間の免許を保有しており、大川鉄道を傘下に収めることで大牟田延長が実現に向けて動き出しました。
 九州鉄道は大川鉄道の株式を取得し経営権を掌握。1927(昭和2)年12月に大善寺ー柳河間の地方鉄道免許を取得し、国鉄の久大本線と鹿児島本線をまたぐ大工事を経て、1932(昭和7)年12月28日に久留米ー津福間を延長開業しました。
 さらに1937(昭和12)年5月1日付で大川鉄道を合併して延長工事が本格。同年10月1日には大善寺ー柳河間17.3kmを開業、福岡ー柳河間58.8kmの直通運転を開始しました。同時に、当時の流行であった流線型を取り入れた「快速軽量電動車」21形電車10両を導入して運転の高速・効率化を目指しました。

 
 
 
 

西日本鉄道の成立、九州鉄道は西鉄大牟田線に。


 大牟田への乗入れは好評を博し、運転回数増加と輸送力増大のため客車数を40両から120両へ増やす計画が立てられました。1940(昭和15)年度に定員80人の200形増備、定員100人の100形を製造したほか、2車体3台車で240人乗りの「関節式(連接式)」電車500形の設計に着手。二日市車庫の拡充や変電所の増設、大溝ー八丁牟田間・銀水ー栄町間の複線化も進めました。
 太平洋戦争勃発後の1942(昭和17)年9月1日、戦時体制下で九州鉄道を含む福岡県内の鉄軌道5社(九州電気軌道、九州鉄道、博多湾鉄道汽船、筑前参宮鉄道、福博電車)の合併が成立し「西日本鉄道」が誕生。商号変更登記は同年9月22日に完了し、九州鉄道は西日本鉄道「大牟田線」となりました。


 西日本鉄道の誕生後、戦時中の車両増備は1943(昭和18)年9月10日に運転を開始した関節車500形(2両)が最後でした。500形は日本の高速鉄道では初の連接式車両で、計画していた熊本延長の実現時には、時速100kmでの走行を想定した高性能車でした。1944(昭和19)年8月10日には柳河車庫も完成しています。
日本初のパノラマ展望車だったデビュー当時の500形 1943(昭和18)年頃 所蔵:西日本鉄道(株)写真No. NTBR211
 1945(昭和20)年8月の終戦までに、大牟田線では大牟田ー栄町間の爆撃による不通(46年2月まで休止)、機銃掃射により筑紫駅で乗客64人が犠牲になる被害がありました。設備・車両の修理が行き届かず機能不全に陥り、戦後の資材不足もあって戦時中に休止した急行電車の運転再開は1946(昭和21)年10月1日でした。
 1948(昭和23)年頃には混雑率は250%に達し、輸送力の増強は急務でした。車両製造がようやく割当てられた48〜49年度に20両の300形電車が竣功し、この時期に活躍しました。また関節車500形は1948(昭和23)年5月、座席をクロスシートからロングシートへ改造し、中間に新造車体を挿入した3車体4台車となりました。
 
2代目・九鉄福岡駅で出発を待つ電車
1951(昭和26)年頃 所蔵:西日本鉄道(株)写真No. p597_1
  3車体4台車ロングシート改造後の500形。紅葉シーズンに運行された「雲仙号」(AIカラー着色)
1953(昭和28)年 所蔵:西日本鉄道(株)写真No. NTSR873



 
 
最新快速急行電車運転(1100形・1200形)
1957(昭和32)年12月
所蔵:西日本鉄道(株)

輸送力増強と1000形急行用車両登場。


 1951(昭和26)年11月、西鉄では運賃改定に合わせて「快適なサービスを提供する」とした輸送力強化新対策を発表。最初の輸送力増強計画では、大牟田線の単線区間の複線化を進め、車両の整備とスピードアップを目指しました。同年5月には従来車両より1両あたり4トンの軽量化を図った600形(初代・120人乗り3両編成)2組を導入。さらに1952(昭和27)年には軽量化をより進めたモノコック(張殻)構造の313形(120人乗り2両編成)4組が新造されました。同車両は初代0系新幹線に先駆けた鉄道車両初のモノコック構造車両でした。
 
運行開始当時の313形(AIカラー着色)
1953(昭和28)年頃 所蔵:西日本鉄道(株)写真No. p598_3
  戦後復興期の大牟田駅ホーム(AIカラー着色)
1953(昭和28)年 所蔵:西日本鉄道(株)写真No. ALBY018




 1957(昭和32)年5月、最高時速120キロ運転が可能な1000形(120人乗り・クロスシート車)4両編成2組を新造したのを皮切りに、1100形・1200形4両編成4組を新造。1000形は急行用車両としてデビューし、1957(昭和32)年12月25日のダイヤ改正で福岡ー大牟田間急行はすべて1000形4両編成に切り替えられました。
 
西鉄久留米駅ホーム景(AIカラー着色)
1958(昭和33)年 所蔵:西日本鉄道(株)写真No. NKG040
  急行として運行を開始した当時の1000形(AIカラー着色)
1957(昭和32)年頃 所蔵:西日本鉄道(株)写真No. NTSR922

 
 
 
 

大牟田線1000形特急登場!


 1959(昭和34)年5月1日のダイヤ改正で、福岡ー大牟田間の急行は特急に変更され、所要時間も82分から75分に短縮されました。従来のローカル急行は急行に変更され、特急・急行が交互に45分間隔で運転開始、福岡ー久留米間は20〜25分間隔の運転となり、準急は廃止されて特急・急行・普通の3本立ての運行となりました。
 
デビュー間もない1000形特急(筑紫ー津古間)
1959(昭和34)年 所蔵:西日本鉄道(株)写真No. NTSR803
  台風接近で2代目・福岡駅構内に避難した電車(AIカラー着色)
1959(昭和34)年8月 所蔵:西日本鉄道(株)写真No. ZZP307


 1959(昭和34)年5月1日のダイヤ改正で、福岡ー大牟田間の急行は特急に変更され、所要時間も82分から75分に短縮されました。従来のローカル急行は急行に変更され、特急・急行が交互に45分間隔で運転開始、福岡ー久留米間は20〜25分間隔の運転となり、準急は廃止されて特急・急行・普通の3本立ての運行となりました。
 1960(昭和35)年5月1日のダイヤ改正で、特急の最高時速は時速90kmから95kmへスピードアップ。福岡ー大牟田間の所要時間は70分に短縮されて、ようやく戦前水準を超えました。急行は福岡ー久留米間を39分で結び、翌1961(昭和36)年6月21日には大牟田まで直通運転する急行の新設、さらに11月1日にはラッシュ時における特急の5両連結運転を開始しました。

 
筑後川橋梁を渡る1000形特急
1968(昭和43)年
所蔵:西日本鉄道(株)写真No. PNS079
 
初の通勤型汎用車両600形(2代目)
1973(昭和48)年頃月
所蔵:西日本鉄道(株)写真No. NTYR032

福岡駅の高架化とバスターミナル開業。


 大牟田線福岡駅の高架化工事は、福岡市の戦災復興土地区画整理事業と都市計画街路事業に協力する形で始まりました。前者は天神町交差点から渡辺通一丁目までの道路(渡辺通り)を18mから50mに拡幅する計画で、大牟田線の福岡駅ー薬院新川間780mの線路を西側に約60m平行移設するもの。後者は都市計画街路松園ー西新間(国体道路)と平面交差する大牟田線踏切の除去が目的でした。
 西鉄の計画は、将来の利用客増加と輸送力増強に対応した施設の拡充と、福岡駅を近代的なターミナルビルに建替え、高架下にバスセンターや商業施設が入居するというもの。工費総額13億8000万円(当時)の一大事業でした。
 1960(昭和35)年3月、仮営業線と仮福岡駅の工事が着工し同年7月に完成。高架化工事は同年9月1日に着工し、翌61(昭和36)年10月末に竣工。11月1日午前5時10分、高架となった新福岡駅から一番電車が発車しました。
 
高架化工事完成間近の福岡駅。右端には仮駅が見える
1961(昭和36)年9月頃 所蔵:西日本鉄道(株)写真No. p162_2
  高架新駅での1000形特急出発式
1961(昭和36)年11月1日 所蔵:西日本鉄道(株)写真No. p163_2


福岡駅と福岡バスセンター 1967(昭和42)年頃 所蔵:西日本鉄道(株)写真No. p173_2
 新福岡駅は2階部分に最大6両編成が発着可能な5線5ホームと改札口(北口)が設けられ、改札を出ると岩田屋百貨店へ直接通じる構造で、2階ホームから降りた南口にも改札口が設けられ、ホームの両端から乗降できるようになりました。
 ホーム下の1階と地下1階には案内所・手荷物預かり所といった駅関連施設のほか、衣料品・雑貨・食料品などの専門店で構成される商業施設「西鉄名店街」が開設され、隣接する南側線路下には福岡バスセンターが開設されて、電車とバスの乗り換えが直結した日本初のターミナルの誕生でした。



 
西鉄久留米駅高架開通記念切符
1969(昭和44)年3月
所蔵:西日本鉄道(株)写真No. NTK003
 
大牟田線冷房特急ポスター
1973(昭和48)年頃
所蔵:西日本鉄道(株)写真No. PNS007
大牟田線開業50周年記念切符
1974(昭和49)年
所蔵:西日本鉄道(株)写真No. p646_13
 

久留米駅高架化と2000形・5000形登場。



 西鉄久留米駅付近の櫛原ー花畑間の踏切道は1965(昭和40)年8月に踏切道改良促進法の指定を受けて立体交差化工事に着手。3年5ヶ月の工事期間(総工費31億3000万円)を経て1969(昭和44)年3月1日に高架新線が開通しました。
 8両連結が発着できるホームが3階部分、1階にはタミー、2階には味のタウンと久留米西鉄名店街が開業。同年10月10日にバスセンターが営業を開始し、駅ビルが完成して全面オープンを迎えたのは1969(昭和44)年12月1日でした。
 
完成した西鉄久留米駅高架ホームと地上の旧駅ホーム
1969(昭和44)年3月 所蔵:西日本鉄道(株)写真No. NNO012
  西鉄久留米駅高架駅記念式典
1969(昭和44)年3月 所蔵:西日本鉄道(株)写真No. T01-21M21



 1973(昭和48)年5月10日、従来の特急用車両1000形の代替として大牟田線に新型特急用車両2000形24両がデビューしました。冷房装置を完備、転換式座席や電照式行先表示装置の設置、乗降時の混雑緩和のための幅の広い両開き式ドアの採用など、快適な輸送サービスにつながる工夫・改善が随所に見られ、1974年度の鉄道友の会ローレル賞を受賞しました。
 さらに1975(昭和50)年10月、通勤用5000形車両が大牟田線にデビュー。アイスグリーンにボンレッドの帯のボディーカラーで登場し、座席を全てロングシート化して収容力のアップを図るとともに、3両固定編成と4両固定編成の2タイプを使用して最大7両連結運転を可能にし、輸送力増強とラッシュ時の混雑緩和に大きな力を発揮。現在まで大牟田線の主力車両として活躍しています。
 
2000形登場時のポスター
1973(昭和48)年 所蔵:西日本鉄道(株)写真No. PNS019
  アイスグリーン塗色で登場した5000形
1977(昭和52)年頃 所蔵:西日本鉄道(株)写真No. p599_1

 
 
 

福岡駅の近代化と特急60分運転。



 1978(昭和53)年3月3日、平尾ー大橋間の連続立体交差化事業による高架線が開通。22本の道路と立体交差し、15カ所の踏切が廃止されました。大橋駅は高架化により移転し高架駅として開業すると同時に急行停車駅となり、高架駅の階下には大橋西鉄名店街などが設けられました。高宮駅も同じく高架駅となり、半年後階下に高宮西鉄名店街が完成しました。
 
平尾ー大橋間高架開通ポスター
1978(昭和53)年 所蔵:西日本鉄道(株)写真No. PNS017
  ラッシュの福岡駅ホーム
1973(昭和48)年頃 所蔵:西日本鉄道(株)写真No. NTMG021




 1983(昭和58)年3月26日のダイヤ改正で、福岡ー大牟田間の全通以来40年の宿願だった同区間の特急60分運転が実現しました。福岡ー久留米間の特急は30分運転、急行は34分運転となりました。さらに同年11月26日に福岡駅の改造が完了。高架化以来の大改造では、すべてのホームで7両連結車が発着できるようになり、発着ホームを5線5ホームから3線3ホームに減らし、乗降ホームの幅を従来の倍以上である11〜14mに拡大。コンコースの奥行きも35mに拡張したことで乗降時の流れがスムーズになり、混雑緩和に大きな効果を発揮しました。前後して筑後川橋梁の架け替え(1981年3月)、柳川駅の改築(1980年4月)、筑紫駅の移転新築(1981年9月)、雑餉隈駅の橋上駅化(1981年12月)、朝倉街道駅の改築(1983年11月)などが行なわれ、1984(昭和59)年4月には西鉄駅として初めて福岡駅にエスカレーターが設置されました。
 
天神ソラリア計画始動前の福岡駅全景
1984(昭和59)年頃 所蔵:西日本鉄道(株)写真No. NA2P016
  福岡駅など16駅に登場したオートゲート(自動改集札機)
1987(昭和62)年頃 所蔵:西日本鉄道(株)写真No. p357_3

 
 
 

天神ソラリア計画。


 1986(昭和61)年1月、西鉄は天神のターミナル機能の向上を第一に、天神地区の回遊性向上と商業・文化機能などの都心機能充実による天神地区の活性化を目指して「福岡駅周辺再開発計画(天神ソラリア計画)」を始動しました。これは、福岡駅を約100m南に移動し、S地区(福岡スポーツセンター地区)、C地区(福岡バスセンター地区)、AB地区(福岡駅地区)の3カ所に区分し、それぞれに再開発ビルを建設するもので、総事業費1200億円、工期10年超という西鉄始まって以来の大プロジェクトでした。
 天神ソラリア計画は福岡市との地域一体型開発として進められ、九州で初めて「再開発地区計画制度」の適用を受け、1987(昭和62)年7月31日に第一期・S(ソラリアプラザ)ビル工事に着工。1989(平成元)年3月24日、ソラリアプラザが開業し、同年5月27日にはソラリア西鉄ホテルも営業を開始しました。
 
ソラリアプラザ開業を前に運行を開始した8000形
1989(平成元)年3月10日 所蔵:西日本鉄道(株)写真No. p599_3
  福岡ー平尾間高架開通、出発式(薬院駅)
1995(平成7)年3月25日 所蔵:西日本鉄道(株)写真No. p353_2



 1992(平成4)年7月8日に着工した第二期・C(ソラリアターミナル)ビルは鉄道・バスともに営業を続けながらの大工事となり、1997(平成9)年9月27日に福岡駅の3線4ホームが完成しダイヤ改正が行なわれました。
 その間、1995(平成7)年3月25日には福岡ー平尾間の高架線が開通し、西鉄薬院駅が高架駅で営業を開始。薬院駅を中心とした約870mの工区では、九州で初めて営業している在来線の真上に高架線を築く直上高架方式で工事が進められました。福岡ー平尾間の高架線開通により、開かずの踏切と言われた薬院踏切での混雑は解消。福岡ー大橋間5.22kmが高架区間となりました。
 
ソラリアターミナルビル完成・福岡駅ホームでの出発式
1997(平成9)年9月29日 所蔵:西日本鉄道(株)写真No. p356_1
  筑紫車両基地に勢揃いした当時の車両
1995(平成7)年頃 所蔵:西日本鉄道(株)写真No. NOMR101



 ソラリアターミナルビルは1997(平成9)年9月29日に竣工し、10月1日には福岡三越が開業。翌98(平成10)年4月23日には西鉄天神バスセンターの降車場も完成し、鉄道とバスが一帯となった巨大ターミナルが完成しました。さらに、第3期・AB(ソラリアステージ)ビルは1996(平成8)年6月24日に着工、99(平成11)年3月31日に完成、4月3日に専門店街が開業し24日にグランドオープンを迎えました。これにより着工から12年を経て「天神ソラリア計画」が完成しました。

 
 
 
救護車(900形)5000形改造車
2015(平成27)年
所蔵:西日本鉄道(株)写真No. NGKX604
 
 
 
 
 
創業110周年ラッピング電車出発式
2018(平成30)年5月25日
所蔵:西日本鉄道(株)写真No. np013-5

21世紀、新たな時代への挑戦。



 2001(平成13)年1月1日、西鉄は大牟田線の名称を「天神大牟田線」に、駅名を
「西鉄福岡(天神)駅」に変更しました。同年2月17日には老朽化した600形に代わって7000形が甘木ー大牟田間のワンマン運転に導入されました。
 
600形の代替として登場したVVVFインバーター制御の7000形
2001(平成13)年 所蔵:西日本鉄道(株)写真No. p425_2
  朝のラッシュ時間帯の福岡(天神)行き電車に登場した女性専用車両
2003(平成15)年11月 所蔵:西日本鉄道(株)写真No. p425_1



 2004(平成16)年10月17日、花畑駅周辺の連続立体交差事業により久留米ー津福間2.07kmが高架線に切替わり、花畑駅と試験場前駅が高架駅となりました。
 2006(平成18)年3月25日に営業運転を開始した3000形は、西鉄初のステンレス車体を採用し、クロスシートを装備した2両および3両固定編成。丸みを帯びた前面デザインで、主に5両編成の急行として運用開始。技術的には、車体の鋼体部分の接合において、日本の鉄道車両として初めてレーザー溶接を取り入れ、高品位な車体が低コストで実現できるとして注目を集めました。3000形はこの点などが評価され、2000形以来となる2007年度「鉄道友の会ローレル賞」を受賞しました。
 
高架化された花畑駅
2004(平成16)年10月 所蔵:西日本鉄道(株)写真No. p426_2
  ローレル賞を受賞した3000形車両
2007(平成19)年 所蔵:西日本鉄道(株)写真No. p425_3
 
創業100周年記念ラッピング電車
2008(平成20)年3月16日 所蔵:西日本鉄道(株)写真No. DSC_8768
  福岡(天神)駅で出発を待つ3000形
2008(平成20)年頃 所蔵:西日本鉄道(株)写真No. np004_1



 
太宰府観光列車「旅人」8000形引退、3000形への引継式
2017(平成29)年9月16日 所蔵:西日本鉄道(株)写真No. np013-3
  柳川観光列車「水都」8000形引退、3000形への引継式
2017(平成29)年7月22日 所蔵:西日本鉄道(株)写真No. np012-1


 2017(平成29)年3月20日、3000形以来となる新型車両9000形が運行を開始。片側3扉、9人掛&4人掛ロングシート、座席幅を従来の450mmから470mmへ拡大、UVカットガラスの採用やバリアフリーの拡充を図った車両です。またすべての照明装置をLED化することで、既存車両である5000形と比較し約50%の省エネルギー化を実現しました。
 2019(平成31)年3月23日には、沿線の食材を活かした食事が楽しめる西鉄初の本格的な観光列車「THE RAIL KITCHIN CHIKUGO(ザレールキッチンチクゴ)」が運行を開始しました。
 
雑餉隈ー下大利間の高架新線を進む9000形
2022(令和4)年8月28日 所蔵:西日本鉄道(株)写真No. NGKX434
  観光列車「THE RALI KITCHIN CHIKUGO」
2019(平成31)年3月 所蔵:西日本鉄道(株)写真No. NGKW401



 2010(平成22)年度に工事着工した「雑餉隈駅付近連続立体交差事業」「春日原ー下大利連続立体交差事業」は2022(令和4)年8月28日に完成。合計5.2kmが高架線に切り替えられ、雑餉隈・春日原・白木原・下大利の4駅が高架駅となりました。
 2024(令和6)年3月16日にはダイヤ改正とともに16年ぶりの新駅「桜並木駅」が開業。天神大牟田線は4月12日に開業から100年を迎え、西鉄電車の公式キャラクターとして電車の吊り革をモチーフにした双子のキャラクター「ガタンコ」と「ゴトンコ」が誕生。天神大牟田線で記念ラッピング電車が運行を開始しました。
 
開業当日の桜並木駅
2024(令和6)年3月16日 所蔵:西日本鉄道(株)写真No. NGMX001
  天神大牟田線開業100周年ラッピング電車出発式
2024(令和6)年4月12日 所蔵:西日本鉄道(株)写真No. NGMX003
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