今から90年前の1924(大正13)年5月23日、西鉄貝塚線の前身「博多湾鉄道汽船」の新博多ー和白間10.8km(宮地嶽線)が開通、営業を開始しました(1,067mm軌間・蒸気動力)。翌1925(大正14)年7月1日には和白ー宮地嶽間12.2kmも延伸開業します。新博多駅(のち改名して西鉄博多、千鳥橋)を起点に、沿線には筥崎宮・香椎宮・宮地嶽神社があり、開業当初から三社詣でや海水浴など行楽客を積極的に誘致しました。

 同社は糟屋炭田の石炭輸送を目的としてすでに1904(明治37)年に西戸崎ー須恵間を開業し、宇美方面へ路線を延伸していました(糟屋線、現在のJR香椎線)。宮地嶽線のの計画は、博多から和白・福間を経由して筑豊炭田の飯塚へ達する石炭輸送と旅客輸送をめざしたものでした。しかし、景気減退や石炭需要の落ち込みから延伸を断念。飯塚までの延伸免許も失効しました。

 
 
筥崎宮の参道前を進む開業当時の蒸気機関車(絵葉書)。現在も筥崎宮の大鳥居横にある高灯籠が見える。
1926(大正15)年頃 所蔵:益田啓一郎
 
 
戦前の博多湾鉄道汽船の沿線案内鳥瞰図(吉田初三郎画)。宮地嶽線沿線の筥崎宮・香椎宮・宮地嶽神社に加え、糟屋線沿線の宇美八幡を含む参拝客と、福間や津屋崎への海水浴など、本来の石炭輸送よりも行楽客へのアプローチを試みていた事がわかる資料である。
1937(昭和12)年
所蔵:西日本鉄道(株)

 
 
 
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