
天神の中心でまちの発展を見守ってきた福岡ビル。現在では、九州随一の繁華街・ビジネス街となった天神の背景には、実は福岡ビルの建設が大きく関わっていました。ビルの建設構想が動き出したのは1955年のこと。その当時の天神のまちは、日本銀行福岡支店ビルの竣工に始まり、金融機関や複合オフィスビルが次々と建設される、まさにビル建設ラッシュの時代でした。そんな折、1955年8月に現在の福岡銀行本店付近にあった「天神町市場」が大火災に見舞われます。まちの再起をかけ、持ちあがったのが、福岡市の中心にふさわしい高層ビル「福岡ビル」の建設構想だったのです。
【1】竣工当時の福岡ビル/「福岡ビル竣工当時(1962年頃)の天神交差点の様子。路面電車が走り、ビル建設ブームに沸いた天神地区でもひときわ高い高層ビルで、まさに「西日本一のデラックスビル」でした
【2】現在の福岡ビル/天神交差点に建つ福岡ビル。西鉄本社のほか、オフィスや飲食店、書店などが入り、多くの人に親しまれてきました
◎1953(昭和28)年頃 福博の中心地で、ビルの新築ブームが起きる
◎1955(昭和30)年8月 天神町市場大火災発生
◎1956(昭和31)年1月 福岡ビル株式会社発起人が組織される
◎1956(昭和31)年7月 福岡ビル株式会社設立
◎1958(昭和33)年8月 福岡ビル着工
◎1961(昭和36)年12月 福岡ビル竣工
【3】1952年頃の天神町交差点。戦後復興の都市計画で道路の拡幅が行われ
ていました
【4】福岡ビル竣工当時の天神中心部空撮。道路が整備され、現在の西鉄福岡(天神)駅など、まちの輪郭ができてきました
建設に伴い1956年に福岡ビル株式会社が設立されると同じ頃、天神交差点角地にあった福岡郵便局の敷地と、福岡銀行本店の予定地(旧橋口町)の敷地交換の話が進んでいました。地元のまちづくりを担う「天神町発展会」から天神町交差点付近を景観のよい賑やかなまちにしたいという要望が出されたため、2つのビルの敷地交換に福岡ビル予定地(天神町市場跡地)も加わり、土地の「三角交換」が成立。こうして福岡郵便局、福岡銀行本店、福岡ビルが現在の場所に建設されることになったのです。
土地の三角交換によって、当初の予定地より1・6倍に増えた敷地で、いよいよ福岡ビルの建設がスタート。欧州や国内の先進ビルの視察研究で培ったアイデアなども取り入れ、1961年12月31日、ついに福岡ビルが誕生しました。総工費25億円、地上10階・地下3階建てで、冷暖房など最新設備も完備したビルは当時「西日本一のデラックスビル」と呼ばれ、福岡の新時代のランドマークとして話題を集めました。
【「福ビル」秘話 福岡ビルをめぐる 土地三角交換の話】
福岡の財界や法人・個人が一体となって天神のまちの開発に取り組んだ出来事の象徴ともいえるのが土地の「三角交換」。都心にふさわしい計画的なビル建設をと、福岡郵便局・福岡銀行本店・福岡ビルの3つの建設予定地の大胆な入れ替えが実現しました
竣工当時の福岡ビルは、地下に駐車場とレストラン街、地上階には銀行や証券会社、貸事務所も設けられ、翌1962年には5・6階に西鉄の本社も入居しました。またその年、屋上と10階デッキに合計1,500席のビアガーデンがオープン。夏の楽しみとして多くの人が訪れる人気施設となりました。
その後、福岡ビルには家具店やカフェ、大型書店など話題の施設が入れ替わり入居し、時代ごとに福岡の人々に親しまれるスポットになりました。
【「福ビル」秘話 福岡ビル屋上にあったヘリポートの話】
竣工当時の屋上にはなんと遊覧観光のヘリポートも。福岡観光の目玉として期待されましたが、計画は中止に。改装されビアガーデンが開業
誕生して58年。「福ビル」の愛称で親しまれた福岡ビルは、この春、生まれ変わる天神のまちとともに、その歴史に幕を下ろします。新しいビルの開業予定は2024年。未来を見据えた先人たちによって豊かに発展してきた天神のまちは、九州・アジアの中心地としてまた新たな一歩を踏み出します。
【「福ビル」秘話 9階ホールは結婚式場だった話】
1963年には9階フロアに結婚式場を開設。福岡の中心地での挙式はカップルの憧れであったといわれています。現在は貸しホールに
現在、福岡ビル・天神コア・天神ビブレの3棟を一つにした複合ビルへの建て替え計画が進行中。天神で最も高い地上19階の高層ビルになる見通しで、ホテルやオフィス、商業施設の入居が予定されています。