労働運動が活発だった昭和40年代、マイカー時代の到来による慢性的な道路渋滞などが加わり、路面電車の収支悪化など西日本鉄道の経営構造が大きく変化しました。 福岡市内線の廃止方針が打ち出される中、春闘の労使交渉が決裂して組合員らが24時間ストライキに突入し、電車やバスが動かない日もありました。 今回は西鉄本社に遺る写真群の中から、福岡市が政令指定都市となった昭和47年のスト決行の朝、福岡市中心部のまちの様子を記録した写真群をご紹介します。 (写真プリント・画像貸出も可能です)