大川鉄道は1912(明治45)年12月30日、縄手(上久留米)〜若津間で運輸営業を開始した路線である。1937(昭和12)年6月22日付で西鉄天神大牟田線の前身・九州鉄道が大川鉄道を合併すると、津福〜大善寺間は改軌・電化されて九州鉄道本線に組み込まれた。1942(昭和17)年9月、5社合併で西日本鉄道が発足すると大川鉄道線は西鉄榎津線・上久留米線となった。西鉄大川線(1948年に榎津線から改称、大善寺〜西鉄大川間)は全線が単線・非電化区間で、1951(昭和26)年9月25日に運輸営業を休止、1966(昭和41)年5月6日付で正式に廃止となった。
大川線にはコッペルタイプの蒸気機関車6両(車号4〜9)が在籍していたが、4号は休止後に北九州市の「いとうづゆうえん」に静態保存された。その後1994(平成6)年に天神大牟田線筑紫工場で化粧直しされ、同年10月のにしてつ電車まつりにて展示公開。翌1995(平成7)年、大川線ゆかりの三潴郡三潴町(現久留米市)へ寄贈され、大川線の廃線跡に整備された「汽車ぽっぽ公園」(三潴小学校前バス停そば)にて展示公開されている。 |