福岡市内線最大数を誇った500形は、終戦直後から全廃までを走り続けた名実ともに福岡市内線の代表車両である。終戦直後の物資不足時から製造を開始し、507号のグループ501~520号は日本車輌で車体を製造、台車や電気機器を旧型車両から流用している為、後期製造の561~608号とは仕様が異なり、ステップから台車中央に向かって床が少し傾斜している。後期グループは低床台車のK-10を装備した為、床は一面フラットを実現した。500形は西鉄福岡市内線ボギー車の完成スタイルである。
昭和40年代には更新工事を施工、ドアの金属化、窓の金属サッシ化などの改良が行われた。またワンマン化の際には、自動ドア化や放送装置の取付が行われている。1975(昭和50)年11月の貫通線・呉服町線・城南線廃止の際も500形は存続し、後期561グループの一部は北九州線に転属された。1979(昭和54)年2月10日限りで福岡市内線が全廃され、507号を含む全車両が廃止となった。
廃止後、500形車両の多くが各地に引き取られて保存され、507号は福岡県須恵町の皿山公園へ移設保存された。保存車両の多くはその後老朽化により解体が進み数を減らしていったが、507号は2016(平成26)年12月に北九州線車両保存会に引き取られ、2015(平成27)年5月末現在、荒廃した内外装のレストアを進めている。同型では壱岐松永記念館に516号が現存する。 |