このページでは、西日本鉄道で活躍・引退した後、他社へ転籍して現在も活躍中の現役車両や有志の努力で保存されている車両をご紹介します。


■静態保存車両のご紹介

西日本鉄道 大牟田線・甘木線200形211号
(筑紫野市塔原の個人宅にて一部保存)
車両紹介  


製造年月
1941(昭和16)年/製造初年 1937(昭和12)年
製造会社
汽車会社
自重
22.0 t  
最大寸法
全長13,580mm 全幅2,590 mm 全高3,996 mm
台車
汽車会社BW54-18L
主電動機出力
45kw×4
定員
80 名
製造時塗装
マルーン 〔稼動期間:約45年〕
廃車年月
1937(昭和12)年 九州鉄道20形21~30製造
1941(昭和16)年 200形二次車16両製造(1次車は201〜210へ改番)
1948(昭和23)年 甘木線1500V昇圧、甘木線へ200形運転開始
1950(昭和25)〜1955(昭和30)年 固定編成化改造
  1989(平成元)年3月 甘木線にて引退、211はさよなら電車となる
  1990(平成2)年 211は西鉄産業久留米工場にて切断加工され、
  個人宅へ移され保存開始  ※は竣功時の諸元
 
先頭部分は個人に引き取られ筑紫野市塔原の自宅にて保存中。
2015(平成27)年春 撮影:北九州線車両保存会
 

 

 西鉄天神大牟田線の前身である九州鉄道が昭和14年の大牟田への路線延長に備え、昭和12年に導入したのがモ21形(後の200形)車両である。

 モ21形は高速運転を目的とし、同時代に多く製造されたガソリン気動車の構造を用い、軽量化車体を採用。車体は路面電車並みの13m級2扉に短縮され、半鋼製ながら当時の電車では屈指の軽量構造とした。福岡ー久留米間と比較し、輸送密度が低いと予想された久留米ー大牟田間に適するよう意を用いて設計された車両である。

 一方で最新鋭の電空油圧カム軸式多段制御装置を採用し、その他の主要機器もゼネラルエレクトリックのライセンスによる国産品を使用して、電動機は60馬力ながら、軽量を利して最高時速は90キロが可能であった。当初21~30の計10両が製造され、1~2両で運行を開始。昭和16年には2次製造が行われ、電動車・制御車16両を増備、合計26両となり形式も200形に変更になった。保存車両211号はこの時の製造車両である。なお2次製造では電装品の確保が追い付かず、一部は制御車として完成している。

 戦時中は兵員、工場への工員輸送に活躍。終戦直前の昭和20年8月には筑紫ー津古間で空襲を受け、210-220が被災、多くの死傷者を出す被害を受けた。戦後、大牟田線の旅客が大幅増となるなか、小型車体の200形は2~4両の編成を組むようになり、博多湾鉄道から大川線を経由してきた60形4両を気動車から電車の制御車に加えて30両のグループを構成する。

 昭和23年、甘木線を福島線と分断し、大牟田線と宮の陣で接続する工事が行われ、晩年まで活躍する甘木線へ乗り入れを開始。大牟田線の福岡方面への乗り入れは年々減少し、昭和44年3月の西鉄久留米駅高架化後に甘木線専用車両となった。その後は使用実績に応じて様々な改造が施され、一部車両のドアの拡大、ヘッドライトの2灯シールドビーム化、ATSの設置など時代に応じた装備を施され永年にわたり使用された。

 甘木線で「木の電車」として親しまれた200形であるが、冷房がなくサービス向上のため、路線改良とともに平成元年に600形に置き換えられて引退した。3両はイベント用として一時使用されたが後に解体。211先頭部のみが個人へ引き取られ現存している。

 
 
福岡タワーでの鉄道イベントへ出張時 2009(平成21)年 撮影:北九州線車両保存会
 
 
 


 
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