西日本鉄道の全身である九州電気軌道(のち西鉄北九州線)が輸送力増強を目的に1936(昭和11)年より製造を始めたのが100形である。九州電気軌道は開業以来、少量ずつ車両増加を行ったが、100形は57両の大量増備となり一気に主力車両となった。
初期型101~111は日本車輌、112~117は汽車製造にて製造され溶接車体が採用された。後期型118~137は日本車輌、138~157は汽車製造にて製造されている。100形は当時全国的に鉄道デザインに流行した流線型を意識し、前面が傾斜したデザインが採用された。125~137(日本車両製)と138~157(汽車製造製)はさらにデザイン変更が行われ張り上げ屋根構造となり、スピード感あふれる従来車両とは雰囲気の異なる車両となった。張り上げ屋根や前面の雰囲気などのちの北九州線の標準的なスタイルを確立したのが100形である。
西日本鉄道となって終戦をむかえ、昭和20年代後半には高速時の架線離線対策改良工事により集電装置がポールからビューゲルを経てパンタグラフに変更された。さらに前面上部に付いていた前照灯を窓下に移設、引き戸式ドアを折り戸式に改良するなど、100形より後に登場した600形に似た外観となった。さらに昭和40年代前半の北九州線ワンマン化により、自動ドアの設置、運賃整理券箱の設置、降車ボタンなどの改良が施された。ワンマン化工事を施工しなかった車両は廃車も行われ、1985(昭和60)年10月の北九州線一部廃止(本線門司ー砂津間・枝光線・戸畑線)により最後の10両も廃車となり全車両が引退した。
148号は1986(昭和61)年に北九州市に引き取られ、企救丘に設置された交通科学館正面に保存、車内も公開されて多くの来館者に親しまれた。2004(平成16)年に交通科学館が閉館となり、そのまま現地に置かれていたが、2010(平成22)年春に北九州市により門司港レトロ地区へ整備の上移設された。現在3月~11月の日曜日に車内公開中である。 |