西日本鉄道株式会社 創立110周年記念誌S
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80第1部 天神発展史博多大丸東館(エルガーラ)当時の天神地区第5節 第3次天神流通戦争博多大丸東館(エルガーラ)オープン 1997(平成9)年3月、博多大丸東館(売場面積1万9000㎡)が増床オープンした。福岡市が事業主体となって進めていた天神東南地区再開発事業エルガーラビルのキーテナントであった。この場所は、西日本新聞会館(博多大丸)の東側で、広さは1.2ヘクタール。地下5階・地上14階建てのL字型大型ビルの建設とあわせて福岡市役所前の幅22m道路を延長する形で、同じ幅の長さ100mの都市計画道路をつくり国体道路と結んだ。ビルは業務、商業、文化機能をもつ複合ビルで、博多大丸東館は地下2階から地上6階までであった。百貨店のまちのイメージ強まる 福岡三越(売場面積3万8000㎡)が1997(平成9)年10月に開店したことで、天神の百貨店の売場面積は、1年前の約5万5000㎡(岩田屋本・新館3万2500㎡、博多大丸2万3000㎡)から約14万6000㎡へと約2.7倍に拡大した。第3次天神流通戦争の始まりであった。 天神地区の商業売場面積は第2次流通戦争時の約20万㎡から10万㎡増え、約30万㎡にまで拡大した。その半分近くを百貨店が占め、天神は巨艦百貨店の街としてのイメージが強くなった。それとともに専門店も巻き込んで業態を超えた競争の激化が懸念された。商業売場面積は5割増加したが、売上は4.7%増にとどまった。バブル経済崩壊による消費不況も重なって、売上が見込みほどは伸びなかったため、売り場効率は大幅に低下した。再開発や出店計画も見直され、1999年には岩田屋の旧本・新館売却、福岡玉屋は廃業した。 また、大型商業施設が天神の南西地区に開業したことから、人の流れも南へ西へとシフトしていった。若者相手の飲食店が天神3丁目の親不孝通りから天神西通りに南進し、西隣に位置する大名地区には、衣料店やブランド店、居酒屋やカフェなどが多く出店した。 天神地区の商業集積は高まり、エリアは広がっていった。引き続き天神ブランドを高めていくため、交通渋滞や駐車場不足などへの対策、来街者の増加を促す取り組みが求められた。天神地区の小売業(出典:福岡市商業統計)販売額(百万円)統計年売場面積(㎡)245,411 283,555 353,467 369,359 386,790 386,349 376,487 367,037 415,219 367,473 1985198819911994199719992002200420072014170,960 179,039 204,120 202,370 261,593 300,467 293,786 313,188 328,406 265,270

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