西日本鉄道株式会社 創立110周年記念誌S
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78第1部 天神発展史インキューブソラリアステージビル旧西鉄名店街(AB地区)へ出店表明と撤回 1991(平成3)年9月、岩田屋は旧西鉄名店街(AB地区)の再開発ビルへの出店で西鉄と基本合意した。岩田屋と西鉄は集客力と人員輸送というお互いの機能を発揮しながら成長してきた。岩田屋の売場面積は本・新館あわせて約3万2500㎡。西鉄福岡駅と地下鉄天神駅の両方に接する抜群の立地から、5万㎡クラスの百貨店に匹敵する年間900億円前後を売り上げていた。その効率の高さで九州最大手百貨店の地位を盤石のものにしていた。 岩田屋は元々、ターミナルビル(C地区)への出店を希望していたが、結果として、三越が進出することとなった。岩田屋が希望する店舗面積は2万㎡であったが、計画では半分以下の約8700㎡。また、岩田屋の要望はビルの上層階(3~7階)のみではなく、売場効率と回遊性の良い地下1階・地上1階部分を含めた売場の拡張であった。 しかし、西鉄としても旧西鉄名店街の復帰を前提とした計画であったため、限られた面積と構造から岩田屋の要望に十分応えることができなかった。このことが1992年12月、岩田屋の出店撤回につながっていく。NTT跡地再開発ビルに岩田屋Zサイド開店 旧西鉄名店街(AB地区)の再開発ビルへの出店を撤回した岩田屋は1993(平成5)年8月、NTT跡地再開発ビルへの出店を表明する。NTTは、福岡中央支店の北西館跡地と隣接する県教育会館跡地をあわせた敷地約8500㎡に商業ビルの建設を計画していた。民営化したNTTは天神の広大な敷地を利用する不動産業に乗り出していたのである。 もともと高島屋・福岡玉屋連合とセゾングループ・岩田屋連合で出店競争をしていた場所であったが、バブル崩壊後の不況で中央大手資本は二の足を踏む状況に転じていた。岩田屋は単独で理想的な百貨店を新たに創り出す方向に舵を切ったのである。1996年9月、岩田屋Zサイド(現・岩田屋本館、売場面積3万4000㎡)が開店する。西鉄ホール第3節 岩田屋の出店表明と方針変更

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