西日本鉄道株式会社 創立110周年記念誌S
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73第3章 都心機能の向上と天神流通戦争〈1976年~1989年〉ソラリア西鉄ホテル開業(1989年)ソラリアプラザビル完成(1989年)ソラリアプラザビルの開業 1987(昭和62)年7月、第1期事業として福岡スポーツセンター跡地(S地区:約5700㎡)の建設工事に着手、1989(平成元)年3月に新しい都市生活のライフスタイルを提案するソラリアプラザビルが完成した。 1階部分には、公開空地として1800㎡ある吹き抜けのコミュニケーションスペースを設け、ステージでは音楽やフォーラムなどの情報を発信するイベントを催した。地下1階から地上6階までが有名なファッション専門店や飲食店が入る商業ゾーン、7階は映画館、10階はフィットネスクラブなどで構成されていた。 同年5月には、女性と若者層を対象としたアーバンリゾートホテルとしてソラリア西鉄ホテルも開業した。第2次天神流通戦争 1989(平成元)年3月、ファッション中心のソラリアプラザ(売場面積2万㎡)に先立って、エレクトロニクス専門店ビル「ユーテクプラザ天神」(現・天神ロフト、売場面積6500㎡)が、4月にはショールームを目玉にした情報文化ビル「イムズ」(売場面積1万㎡)がオープンした。これら大型3ビルをあわせた売り場面積は約3万6500㎡で、約17万㎡だった天神商業エリアは約20%も膨れ上がり、全店舗数は約1000店となった。 それまで天神の通行量は、岩田屋と福岡ビルを結ぶ天神交差点が最も多かったが、人の流れは南側のソラリアプラザとイムズをつなぐ天神バスセンター前交差点にシフトした。これらは第2次天神流通戦争と呼ばれた。フェニックス族・かもめ族あらわる 1988(昭和63)年4月、長距離高速バス福岡-宮崎線「フェニックス」が開設されると、天神に向けて人の動きが生まれた。同様に九州の他地域からも高速バスやJR九州の特急「かもめ号」などで天神にやってくる人が急増した。ディスコで踊って一泊し、翌日はソラリアプラザ、イムズでショッピングをして帰る若い女性たちのことを「フェニックス族」や「かもめ族」と呼んだ。 舞台はもちろん天神。それだけ、ソラリア・イムズに話題性があり、吸引力が強かったことの証左でもあった。界隈のビジネスホテルに泊まり、名物の屋台もファッションの一つとして、おずおずとのれんをくぐる姿も見受けられた。こうやって、九州全域に天神ブランドが広がっていった。高速バス「フェニックス」ソラリアプラザ1階ゼファ情報文化ビル「イムズ」

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