西日本鉄道株式会社 創立110周年記念誌S
69/226

67第3章 都心機能の向上と天神流通戦争〈1976年~1989年〉福博プロムナード 1976(昭和51)年の第4次福岡市マスタープランは、天神地区を「都心商業業務、娯楽機能の集積が高まり、県庁舎、市庁舎の改築も検討段階に入っている。複合した都市機能をモール軸、歩行者デッキなどで有機的に関連づけるとともにオープンスペースを積極的に生み出し、豊かな緑を配置して新しい生きた都心環境の創出をはかる」と位置づけた。そして、「中洲川端地区および渡辺通り地区との連携を強化するため、国道202号線および渡辺通り線に緑のプロムナードを設定する」と踏み込んだ。 1979年、地権者らによる天神第一ブロック発展協議会が結成され、天神地区と中洲を結ぶ「福博プロムナード」を軸にして、沿線や跡地のビルのセットバックや、ビル間の地下接続のあり方等についての提案活動を展開した。その提案が活かされ、1990(平成2)年7月、那珂川にかかる福博であい橋が完成し、福博プロムナードとして福岡と博多が歩行者空間でつながることになった。県庁移転と新市庁舎完成 第4次福岡市マスタープランで指摘された県庁舎と市庁舎の改築問題は対応が大きく分かれた。 県庁舎は都心界を中心とした移転反対の運動もあったが、1977(昭和52)年7月の県議会で東公園(博多区)への移転が確定した。移転の理由として、県の組織が肥大化するとともに、老朽・狭隘化した庁舎を建て替えるには都心部に十分な用地を確保することが難しいとされた。1981年11月、新県庁舎は開庁する。 一方、市庁舎は現在地で建て替えられ、1988年4月に完成する。新市庁舎は地下1階・地上15階建てで、航空法による高さ制限いっぱいの約67m(避雷針を含んだ高さは76.1m)であった。 広大な県庁跡地の南側(3万1000㎡)は、県民の憩いの場として緑地空間が提供され、非常災害時の緊急避難場所として機能することを目的に、1989(平成元)年3月、天神中央公園として生まれ変わった。都心部の空間を有効利用するため公園の地下には駐車場が設けられた。北側(約1万4000㎡)には、1995年4月アクロス福岡が開業する。地下鉄開業と順次の延伸 福岡市地下鉄は1号線が1981(昭和56)年7月に室見-天神間で開業、翌82年4月に天神-中洲川端間が開業した。続いて1983年3月に姪浜-博多(仮駅)間が開業すると、同時に国鉄筑肥線の博多-姪浜間が廃止され、姪浜-唐津間は筑肥線と相互直通運転した。 2号線は1982年4月に中洲川端-呉服町間が部分開業した後、段階的に延伸し1986年11月に全線開業して貝塚駅で西鉄宮地岳線(現・貝塚線)と接続した。地下鉄1号線開業(1981年)福岡市庁舎アクロス福岡と天神中央公園福博であい橋(提供:福岡市)

元のページ  ../index.html#69

このブックを見る