西日本鉄道株式会社 創立110周年記念誌S
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64第1部 天神発展史マイカー時代と慢性化する都心の交通渋滞 1960年代の急激なモータリゼーションの進展とマイカーブームの到来により、天神地区など市中心部の交通渋滞は激化していった。都心における西鉄の福岡市内線や路線バスは、悪化する道路事情の根源との見方もなされた。 西鉄福岡市内線の輸送人員は1959(昭和34)年度の1億193万人がピークであったが、設備の近代化に取り組みながら60年代前半までは1億人前後で推移した。しかし、マイカーブームが加速した60年代後半になると、交通渋滞による定時運行維持が困難になったこともあり減少傾向が加速し、1972年には5228万人と激減していった。福岡市と西鉄の路面電車廃止協定 路面電車を取り巻く経営環境が悪化するなか、1971(昭和46)年3月、第68回都市交通審議会で、福岡市内線の縮小と高速鉄道(地下鉄)の建設を内容とする答申第12号が決定された。福岡市と西鉄は数回の都市交通問題協議会を経て、1974年2月28日に路面電車の廃止協定を結んだ。 具体的には、貫通線・呉服町線・城南線については地下鉄1号線の着工時に廃止し、貝塚線・循環線は地下鉄2号線工事の進捗を勘案して廃止することとされた。また宮地岳線との接続問題では、地下鉄2号線が貝塚で接続することで合意に達した。福岡市内線貫通線・城南線・呉服町線廃止と代行・代替バス運行 福岡市地下鉄は1975(昭和50)年11月1日に着工された。福岡市内線は10月30日から11月1日まで最後の花電車を運行し、地下鉄路線と重なる貫通線・呉服町線・城南線は同日まで運行され、翌11月2日付で廃止となった。 代行・代替バスは同日から運行が開始され、貫通線・呉服町線の代行バスは姪浜(貫線)九大前線など3路線、城南線の代替バスとして姪浜(城南)九大前など4路線が新設された。停留所の位置や始発終発の時刻も路面電車時代を踏襲し、地下鉄開通までの利用者の不便を解消する対策が講じられた。都心界25周年と天神再開発構想 1948(昭和23)年8月の発足以来、都心界は天神地区の商業施設の連携によって天神発展に寄与し、1973年に25周年を迎えた。その間、中元や歳暮の大売り出しを共同で行ったり、正月の十日恵比須大祭にあわせて宝恵かご道中を1952年から1969年まで開催するなど、天神の魅力拡大や集客において天神町発展会とともに先導する役割を担ってきた。第5節 福岡市内線の廃止と商都天神さよなら電車(1975年)天神付近の混雑状況福岡市との協定締結(社内誌『にしてつ』1970年10月号より)
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