西日本鉄道株式会社 創立110周年記念誌S
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63第2章 福岡駅の高架化と福岡ビル建設〈1955年~1975年〉場とあわせて須崎公園から博多ふ頭にかけて文化・レジャー施設が線でつながり、天神がその起点の役割を果たすこととなった。 また、オフィスやコンベンション施設、文化施設の増加にともない天神地区にも本格的なホテルを望む声が日増しに高まっていた。西鉄は1969年4月21日、福岡市初となる本格的なシティホテルとして西鉄グランドホテルを開業した。翌5月には毎日福岡会館に東急グループ初の九州進出となる博多東急ホテルが開業し、天神をはさむ形で東西の端に本格ホテルが誕生したのは時代のニーズであった。メディアの天神集中加速 1930(昭和5)年に因幡町(現・岩田屋新館の場所)に開局したNHK福岡放送局は、新天町の誕生直後からラジオ中継を新天町内にあった新天会館ステージや天神町の街頭で行うなど、天神地区が戦後復興と躍進を遂げる過程でメディアとして大きな役割を果たした。 福岡放送局は1956年4月にはテレビ放送をスタートし、5月9日には西鉄ライオンズ対南海ホークス戦のナイターをテレビ初中継して、ナイター中継を街頭や自宅のテレビで観戦する時代が幕を開けた。天神地区を中心に、テレビを導入する喫茶店やレストランも出現した。 1951年12月1日にラジオ放送を開始したラジオ九州は、天神地区に隣接する渡辺通三丁目に本社スタジオを置き、1958年3月1日からテレビ放送を開始し、同年8月1日に西部毎日テレビジョンと合併してRKB毎日放送となった。 1954年1月1日に久留米市でラジオ放送を開始した九州朝日放送は、1956年12月に福岡市(東中洲・花関ビル)に移転し本社スタジオを構えた。1959年3月1日にテレビ放送を開始するのにあわせて、長浜のKBC会館に本社とテレビ局を移転し、新しい社長には西鉄を退任した木村重吉が就任した。 これにより天神地区のNHKをはじめ、天神の南北にテレビ局が集積することとなり、既存の西日本新聞社やフクニチ新聞社、朝日新聞社、毎日新聞社などが天神とその周辺に揃いメディアセンターの様相となった。 また、福岡市では1930年創刊の「博多のうわさ」をはじめ、戦前から地域情報誌が数多く存在していた。戦後復興期には「博多春秋」「博多余情」などが次々と刊行され、それぞれが文化情報だけでなく政治人や地域経済人の活動を取り上げ、地域経済人が協力して歳末募金のための「名士劇」を行うなど人脈交流の場となり、都心界や天神発展会での円滑な討議討論につながった。 若者向けの情報誌としては、1976年秋に創刊し全国のタウン誌ブームの先駆けとなった「シティ情報ふくおか」の存在が大きく、発展する天神地区の最新情報や動向を伝え、若者の目が天神へ向かう情報ツールとして存在感を放った。同紙の優れている点は、最新情報のみならず天神や博多などの町の歴史を、編集に携わる若者たちの目線でテーマやエリアごとに詳しく紹介していたことであった。福岡放送局(『天神町1910~1960』より)地域情報誌『シティ情報ふくおか』創刊号他地域情報誌『博多余情』『博多春秋』『博多のうわさ』

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