西日本鉄道株式会社 創立110周年記念誌S
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59第2章 福岡駅の高架化と福岡ビル建設〈1955年~1975年〉福岡ビル開業と観光ヘリポート構想 福岡ビルは、前述したように1955(昭和30)年8月に発生した天神町市場の火災をきっかけとして、跡地に銀行・商社・ホテル・商店街(天神町市場)・文化施設などが入居する高層ビルを建設する計画であった。当時は天神地下街の構想誕生前であるが、当初の計画には電車通り(現・明治通り)対面にある岩田屋と地下道で結ぶ構想も盛り込まれていた。 翌56年1月には福岡ビル株式会社発起人が組織され、同年7月19日に設立されて西鉄の木村重吉が個人として同社社長を兼務する形で就任した。この時期の木村は西鉄社長をはじめ、西鉄ライオンズ球団オーナーやパ・リーグ会長などを並行して務めており、平和台野球場の改装をはじめ、当時西鉄が最も注力していた筑豊電気鉄道の計画とあわせて巨額の資金を要する大規模開発が続いていた。そのため福岡ビル建設に関して、当初は木村個人として経営に参画した。 福岡ビルは1958年8月に着工したものの、西鉄グループからの資金提供が望めず、資金不足からの工事中断期間があった。解決策として、木村は翌59年に西鉄社長を退任して福岡ビル建設に専念することを条件に、西鉄グループからの資金支援を15億円から30億円に倍額で獲得した。福岡ビル福岡ビル屋上へリポートでの試験飛行福岡ビル(竣工時全景)第3節 福岡ビルの開業
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