西日本鉄道株式会社 創立110周年記念誌S
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58第1部 天神発展史福岡バスセンター山口行き特急バス(関門急行バス)福岡バスセンター開業、昭和通り開通と路線バス網再編 1961(昭和36)年12月23日、西鉄福岡駅の高架下に福岡バスセンターが完成し営業開始した。ノコギリ型の7パースのホームや当時最新の反転式時刻表示を備えたバスセンターは中長距離バスの起点となり、市内線のターミナルであった博多発着所との差別化が図られた。 同年12月、のちに昭和通りと名付けられる福岡市中心部を東西に横断する50m道路が完成した。西鉄では、都心界および天神町発展会からの「天神町中心の市内バス路線網構築」の要望を受け入れ、新設道路経由の新路線を含めて、市中心部のバス路線再編を試み、福岡市のバス交通の中心はそれまでの博多駅前(博多発着所)から天神地区へと移ったのである。特急・急行バスと天神 福岡バスセンターの開業にともない、中長距離特急・急行バスの出発地は従来の博多バス発着所から変更された。国道をはじめとする北部九州の道路整備の進展にともない、天神発着の中長距離特急・急行バス路線網は急速に拡大していった。各都市を結ぶ路線のほか、福岡~九重高原を結ぶ特急バス「くじゅう」をはじめ観光地への路線も増加し、九州自動車道などの高速道路網の整備が進むとともに、天神地区を起点にして九州一円から集客することも可能となり、天神が九州流通や経済の中心地となる一因となったのである。西鉄名店街誕生と地域連携 西鉄福岡駅の高架新駅開業とともに階下に誕生した西鉄名店街は、衣料服飾店や一般雑貨など40店舗が入居する地上1階のA地区と、40店舗の食料品店などで構成された地下1階のB地区、バスセンター地下C地区の食堂街、そして高架下の警固公園側に設けられた「西鉄のれん街」で構成された。 鉄道駅の高架化は街の人の流れを遮る可能性もあるが、スラブ式の高架とし階下に商業施設を入居させることで回遊性と利便性を生むなど、街の発展に寄与できる施設をめざして随所に工夫が凝らされた。これには、従来の盛土による高架化では建設に関する移転補償金が一部しか出ないという資金的理由もあったが、建設費がかさむスラブ式高架に対してテナントを入れることで投資回収を行うという現実的な選択肢であった。 結果として、高架下を利用したショッピングセンターの経営は、大手私鉄において草分け的な存在となり、完成後は全国から視察が相次いだ。 西鉄名店街の発足までには、隣接する岩田屋百貨店が売り場面積の確保を目指して出店を希望するなど検討課題もあった。それまで岩田屋との関係を最重視していた西鉄であったが、永年の念願でもあった流通業への参入を優先した。この時の経験が、のちに天神コアや天神ソラリア計画へとつながっていくのである。西鉄名店街
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