西日本鉄道株式会社 創立110周年記念誌S
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51第1章 戦前、戦後の天神と西鉄〈1868年~1955年〉 一方、天神町発展会(設立時は天神町発展期成会、のち天神発展会、We Love 天神協議会の前身)は、天神地区のまちづくりを担う法人・個人が参画し、福岡証券取引所理事長の平野貞一を会長として1955年4月に発足した。戦災で焼け野原となっていた電車通り(現・明治通り)沿いを中心に、占領軍の統制解除を受けた1952年以降に再開発が一気に動き出していたが、多くの敷地は銀行やビルがあった場所であり、再開発に際してそれぞれの復興計画がバラバラに進む状況であった。 官公庁や金融機関が集まる天神地区はビジネス街としての役割も大きくなりつつあり、天神地区の一体的発展には地域の法人・個人が一致団結して再開発を担うべきとの見地から、推進母体となるまちづくり団体として発足したものである。 同会は設立当初から県庁前の花時計設置や街灯整備など、地域が抱える問題の解決に尽力し、天神ビルや福岡ビル建設、西鉄福岡駅の高架化に際しても大きな役割を果たし、施策の提言や教養大学の開催など、天神の発展に欠かせないまちづくり組織となった。ビル建設ラッシュ到来と福岡スポーツセンター開業 1952(昭和27)年4月のサンフランシスコ条約(対日平和条約、安保条約)発効にともなう統制解除を受けて、天神地区でも新規ビルの建設ラッシュが始まった。解除前の1951年8月の日本銀行福岡支店ビル竣工に始まり、翌52年2月には松屋ビル(旧松屋百貨店)が接収解除となり、貸しビルとして正金ビルに貸与された。 同年8月には三菱銀行支店、11月には東京海上ビル、1953年11月には三井ビルが竣工した。さらに1954年3月には協和ビル、同年4月には西日本ビル、6月には渡辺ビルと福岡同和ビル、翌55年3月には福岡朝日会館が竣工して、天神地区には福岡市内の他地区に先駆けてオフィスビルの新規供給が続き、ビジネス街天神の骨格が形成されていった。 また、1955年11月1日、肥前堀埋立地の福岡県立図書館跡地に福岡スポーツセンターが開業した。アイススケート場として営業した後、大相撲九州準本場所が福岡市で初開催され、福岡に大相撲ブームが巻き起こった。 翌56年4月にはセンターシネマが完成し、リバイバル映画を中心に上映が始まり人気を博した。宝塚歌劇など国内外の舞台の上演をはじめ、ボクシングなどのスポーツイベント、コンサートも開催されて天神ソラリア計画により1986年に閉館するまで、天神地区の集客装置としての役割を果たした。福岡スポーツセンター完成(1955年)天神町(1950年)(提供:益田啓一郎)県庁前の花時計(提供:益田啓一郎)地上4階地下1階地上6階地下1階地上3階地下1階地上4階地下1階地上5階地下1階地上6階地下1階地上8階地下1階地上9階地下1階地上5階地下1階地上8階地下1階地上8階地下1階地上9階地下2階地上9階地下2階817坪1,384坪596坪1,221坪1,355坪718坪1,659坪2,112坪1,355坪2,346坪2,242坪3,879坪5,000坪昭和7年竣工昭和9年1月竣工昭和9年5月竣工昭和11年竣工昭和27年11月竣工昭和28年11月竣工昭和29年3月竣工昭和29年4月竣工昭和29年6月竣工昭和30年3月竣工昭和33年7月竣工昭和35年1月竣工昭和35年1月竣工大和生命ビル千代田ビル東京海上ビル三井ビル協和ビル西日本ビル渡辺ビル福岡朝日会館証券ビル福岡富士ビル福岡三和ビル西日本会館(旧九州日報)正金ビル(旧松屋)天神地区のビル建設一覧
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